芭蕉
2010年07月06日
2008年09月25日
支部での特別研究会
はい、おっはよーございます。 雪華ホーム!
今回は、定例の研究会と特別研究会と、師匠宅で旧七夕花展用の下生けと、ミニみに花展の申請書類の提出やら、盛りだくさんで、それに伴う花器を選んだりなどなど・・・、珍しくあわただしい帰省でした。
今週のお稽古に使った花器と同じもので、生花新風体の写真を↓(特別研究会)。というか、順番はこっちが先でね、名古屋にもどって届いた荷を解いたらこの器が出てきたので、またお稽古で生けたっていうことなんでございますわ(しまうところに困ってるわけ)。
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今回は、定例の研究会と特別研究会と、師匠宅で旧七夕花展用の下生けと、ミニみに花展の申請書類の提出やら、盛りだくさんで、それに伴う花器を選んだりなどなど・・・、珍しくあわただしい帰省でした。
今週のお稽古に使った花器と同じもので、生花新風体の写真を↓(特別研究会)。というか、順番はこっちが先でね、名古屋にもどって届いた荷を解いたらこの器が出てきたので、またお稽古で生けたっていうことなんでございますわ(しまうところに困ってるわけ)。
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2006年06月15日
ユーモアとペーソスから迫る芭蕉像NO.35
乾裕幸は、「五月雨に鳰の浮巣を見にゆかん」という句の説明に、芭蕉自身が語ったところの、酔狂、風狂心に俳諧性があるとしている点と同様な意味合いで、次のように説明している。「和歌言語としての(白河の関)の理解は必ずしも現実における白河の関を知らなくても、(白河の関)の歌を詠むことはたやすいことだったわけで、禁足の回国記が可能だったのもじつはそのためにほかならなかった。にもかかわらず、芭蕉はわざわざ奥州くんだりまで出向いて行って、歌枕の踏破をやってのけたのである。」と、そしてこれは、風狂の精神であると述べている。・・・続きを読む
2006年06月05日
ユーモアとペーソスから迫る芭蕉像NO.34
この句は『おくのほそ道』中の出立の際の留別の句としているが、実際の吟は、「鮎の子の白魚送る別れ哉」を後で改作したものである。土芳によると、芭蕉自身が、前作の句では品位が釣り合わないと語ったと記している。同じような、『おくのほそ道』中の虚構性の問題について少し、ふれたい。・・・
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