★芭蕉俳諧と滑稽性

2006年04月03日

ユーモアとペーソスから迫る芭蕉像NO.30

2a50d7a7.jpg 芭蕉の自己卑下や、ピエロ的滑稽人物の演技は、たいへん屈折していて、世間から見れば取るに足りない、あるいは、ばかばかしいことをしているように見えるかもしれない(という現実を知っていながらも)自己を肯定している、自身満々の自尊心をカモフラージュしている側面もあるように思われる。・・・
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2006年03月10日

ユーモアとペーソスから迫る芭蕉像NO.29

9d48cd57.jpg   何にこの師走の市にゆく烏
 (元禄二年、四十六歳。この寒空を烏が市の方へと飛んでゆく。何を好き好んで、ごった返す師走の市なぞへゆくのだろう。)・・・
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2006年02月21日

ユーモアとペーソスから迫る芭蕉像NO.28

e4649922.jpg   Ф原臾攜呂凌箸話歙討忙たる哉
 (貞享元年、四十一歳。狂句を詠みちらし、冷たい木枯しに吹かれながら、諸国流浪の末、枯木のようにみすぼらしく貧寒な姿で名古屋入りするこの身は、まさにかの狂歌好きの竹斉とそっくりであるよ。)・・・続きを読む

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2006年02月14日

ユーモアとペーソスから迫る芭蕉像NO.27

a055ab46.jpg   
μ遒兇蕕靴鮨瓦防のしむ身哉
(貞享元年、四十一歳。旅の途中で行き倒れて野晒しの白骨となる覚悟で、いざ出立しようとすると、肌寒い秋風が我が身を吹きさらすことだ。)
 ・・・

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2006年01月31日

ユーモアとペーソスから迫る芭蕉像NO.26

632d9a5f.jpg   D顔に我は飯食う男哉
 (天和元年、三十九歳。自分は世人と全く変わらず、朝早く起き、木庭の朝顔を眺めて飯を食う平凡な男なのだ。)
 この句の前に、芭蕉の門人、其角の句「草の戸に我は蓼食う蛍かな」に応じて作ったとある。其角の句は諺「蓼食う虫」をふまえ、自分が世人とは異質の蛍のように夜ふかしを好む超俗的人物であることを衒った趣きがあり、これに反して、平凡に徹する意を述べ俳諧もこうあるべきだとの心を寓した。本当は平凡ではないと思いつつ(平凡でないと思われることをしたい)そのことと反対のことを述べる自虐的な一面をのぞかせる。

   で呂椶ぼくわれを絵に見る夏野哉・・・続きを読む

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2006年01月23日

ユーモアとペーソスから迫る芭蕉像NO.25

5db633c7.jpg 「不易流行」の思想はそのための論理であったと考える。一見矛盾する不易と流行は実は相互補完の関係にあって、物を見る目もその表現方法も、いつまでも同じ状況でとどまっていられるはずはないと芭蕉は見ていたと思われる。・・・

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2006年01月12日

ユーモアとペーソスから迫る芭蕉像NO.24

af5eb917.jpg5.芭蕉の到達した俳諧観

 前項で少し触れたが、芭蕉の俳諧観をまとめてみよう。今栄蔵によると芭蕉の俳諧観として三つをあげている。
 〇譟柄悩燹β仂檗砲量簑蠅任△襦O歌に俳言を用いれば俳諧になるというような形式的な問題ではなく、内容本意であり、通俗卑近なものの中に宿る独自の通俗美に求められなければならない。・・・


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2005年12月22日

ユーモアとペーソスから迫る芭蕉像NO.23

2482c335.jpg △老措暗には「何やら」が俳言といえるが、一句ほとんど連歌である。『去来抄』によると歌学者北村湖春から「すみれは山によまず。芭蕉翁、俳諧に巧みなりといえども、歌学なきの過也」と批判されているように「山路のすみれ」は歌の常識から見ると噴飯者だったらしい。これまでの流れから見て芭蕉は歌学の無い(あるいは、非常識な)連歌を作ったのではなく、取り合わせの妙でありつつ、新しい美や実を提議した俳諧を作ったと考える。・・・


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2005年11月24日

ユーモアとペーソスから迫る芭蕉像NO.22

3d47a54a.jpg 『のざらし紀行』の際のおおげさな旅立ちの句についても、句の鑑賞の中で詳しくのべるとして、『ほそ道』行脚の虚構は周知の通りである。芭蕉の自称「乞食の翁」像も三十七歳という年齢で(人生五十年という時代ということを考慮しても)は、少し無理がありはしないだろうか。続きを読む

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2005年11月14日

ユーモアとペーソスから迫る芭蕉像NO.21

d2771d02.jpg ,禄宗七・五の破調の漢詩調パロディであり、当時の流行であるが、孤独貧寒の感情の趣は個性的であるとされる。尾形仂の句解では、この悲しみの涙は杜甫の詩情を確かめることができた喜びの涙でもあるという(『芭蕉の世界』)。詫びの悲痛さばかりに受け取れる気もするが、乾裕幸によれば、「俳諧=滑稽の論によって言えば連歌の形式と漢詩文の様式とを攪乱することによって俳意を生み出した」とし、また外面的な摂取、模倣に終わらず「漢詩文との攪乱によって「妙義をのべた」のである。これが後年蕉風の生まれる素地」であると述べている。
 ◆崗岷」の詩趣は中国の高雅な文人趣味であり、「盥雨」としたところに通俗味を出すことで俳諧化している。この句の侘びの詩情にアイロニカルなおかしみを加味した。杜甫の詩から取り込んだパロディであるが、先例もいくつかあるようだ。同じくも杜甫の詩をもじりつつ共感の情を表している。「髭風ヲ」は「風髭ヲ」の倒置法の滑稽感をねらっており、当時流行の滑稽技法である。

永観堂


 芭蕉の作品と人生を直結して考えがちなので、ここで少し芭蕉の実生活は本当に赤貧生活だったのかという疑問について述べたい。延宝八年『桃青門弟独吟二十歌仙』という俳諧撰集が刊行され桃青門グループの活発な活動が推察され、同年秋には、門弟其角が『田舎句合』、杉風が『常盤屋句合』をそれぞれ芭蕉を判者として編集し刊行している。もともと富裕の門弟もいたし、当時の芭蕉の門下には、かなり多くの有力な門弟が育っているという事実から、成川武夫は「彼らの物心両面にわたる熱心な後援に支えられてはじめて彼の脱俗隠棲による新風開拓の夢がかなえられた」とみている。同年の延宝八年まで行なっていた副業をやめているが、これも必要なくなったともとれる。

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