お稽古は木イチゴで自由花〜♪競歩の映画『今日より、もっと』

2021年08月23日

クリスティ読破12『謎のクイン氏』

はい、こんにちは。          雪華ホーム


20210823パステルりんどう


1930年。『謎のクイン氏』はアガサの刊行12冊目、40歳でした。
絶好調の多作時代、30年代にいよいよ突入です。
原題は『The Mysterious Mr.Quin』
確かに謎ではあるのですが、不思議な、超人的な、神秘的な人物が、
アガサが新しく生み出した探偵のような、でも探偵じゃない、クイン氏。
物語の進行役である60歳代の紳士サタースウェイト氏に暗示するかのように、
解決の糸口を示唆する役割として登場するんです。
ユニークな発想ですし、これ以前の冒険ものが若い人をターゲットにしたのとは真逆の
大人のちょっと変わったミステリーを書いてみせました。
若い頃私の読後感は、「さっぱり理解できずに、やっぱりポアロさんがいいな」と感じました。
ところが、読み直すとガラリと印象が変わった本の代表の一つでございました。

12の作品からなる短編集です。
ハーリ・クイン氏初登場場面は、ドアの真上のステンドグラス越しの光の効果で、
七色を身にまとったように見えますの。
すらりとした長身で、髪は黒いというぐらいしかわかりません。
あと、微笑んでいながら悲しげな表情。
ハーリ・クイン、ハーレクインというのは道化師の役柄名らしいのですが、
ここで知った程度でして、涙マークをつけたピエロという道化師の名前の方が身近ですね。
ハーレクインロマンスという恋愛小説がありました(今もある?)が、それか
ハーレクインとコロンバインを描いたドガの絵があった程度しか思いあたりません。
アガサにとっては、幼少期からクリスマスのパントマイムで
ハーレクインはとても親しみがあったようなのです。
西洋では当然のごとく知られているんでしょう。

本格推理ものも含まれていますが、
解決するのは主に恋愛問題でございます。
男女のすれ違いや、世間の見た目とは違う真実に迫ろうとしていた作品群が新鮮でした。
この分野は、その後さらに研ぎ澄まされますね。
物語の見せ方がとても幻想的で、上流階級のオシャレさと、耽美的なアンニュイさ
をからめながら、すっかり不思議な世界に誘われます。
説明不足でしょうが、アガサの他の作品にはないムードなんですよ。
独特のこのムードを何と形容すべきなのか、今検証中でございますが、
脳裏に浮かぶのは、レイ・ブラッドベリの『何かが道をやってくる』(1964年)が、
気になっているところなんです。
ブラッドベリのムードと似ている気がします。
トミーとタペンスシリーズで、アガサが晩年に執筆した『親指のうずき』(1967年)
の感想の時までお預けになるかと思いますが……。
シェイクスピアのマクベスの一節で、
親指がうずいて、何か邪悪なものがやってくる、予感がするという場面があり、
前半と後半を、それぞれが小説のタイトルに使っています。
何か共通した興味があったのではないかしらんと感じていて、偶然とは思えません。

こっくりさんみたいな降霊術や、幽霊話が登場しますが、これはあくまでも小道具であり、
(アガサのミステリーにはしばしば用いられます)読者サービスであり、
その先にある超自然の不可思議な世界を追求しているのだと思います。
心なのか精神なのか、邪悪なものに対決できるのは、
やはり、目に見えない良心や節度や品といったものでしょうか。
それを一身に体現しているのが、ハーリ・クインという存在なのかと。
「見えないハーリ・クインに」という献辞が冒頭にあります。
アガサが示す幻想性はペシミストではなく、リアリストであることを示しています。

一方リアリティのあるサタースウェイト氏が現実の過酷な世界を引っ張ります。
私が彼の年齢に近づいたことから共感を覚えたのかもしれません。
俗っぽくて、他人に興味津々で、目立たなくて全くの傍観者である人物。
ただ、羨ましいのはお金持ちで、文化芸術のパトロンであり、社交界に顔が効いているんです。
ですから、世界中に旅立ち、リッチな避暑地で過ごし、いろんな事件に遭遇するわけです。
ごくたまに、他の短編でハーレ・クイン氏とは再会できますよ。
サタースウェイト氏は「三幕の悲劇」に登場します。
ファン魂をくすぐりますの。

アガサの死生観がでているんじゃないかと思える箇所が『翼の折れた鳥』にあります。
クイン氏がサタースウェイト氏をじっと見つめて問いますの。
「人間の身に起こりうることで、死は最大の不幸でしょうか?」と。
私も、サタースウェイト氏のように、しどろもどろで、
「ああ、いやあ、必ずしもそうとは限らない、かも」と答えるでしょう。
大阪生まれの私としては、最後に「知らんけど」と付け加えます。
以前見つけたんですが、ポアロさんシリーズのうちの何かの感想コーナーに、
「ポアロが犯人の自殺を促すような真似をするのは驚き、コナンくんだったら絶対に生きろって
言うはず」みたいなのがありました。
なんでもかんでも命は同じみたいな思い込みではなくて、
ケースバイケースで状況は変わるのじゃないかなあと感じました。
一辺倒じゃないのが人の世で、物語の多様性であり、読書はこの上なく楽しいお勉強になります。

ですから決して命を軽んじているわけではありません。
一番のお気に入りの話は『海から来た男』で、示唆に富む逸話がいくつもあります。
幸福の絶頂の後に迎えた犬の突然の事故死。目には悲哀と残酷さが浮かんでいるのですが、
避けることはできなかった現実がある。
サタースウェイト氏は、犬がこう思ったに違いないと感じるんです。
「ああ、わたしが信じていた素晴らしい世界よ。どうしてわたしにこんな仕打ちをするのか」と。
でも、それ以上に、老け込んだ自分はあの犬ほども人生で何も得ていないのではないだろうかと、
身震いするんです。
私は身震いしっぱなしの存在なのでございますが、
アガサほどの成功者でもこの気持ちがわかるのが、凄いと思いますのよ。

物語のキーパースンであるアントニー・ゴズデンという人物造型は、こうです。
「並みの収入で、短い兵役経験があり、おおいに遊び、友だちが多く、楽しい経験が豊富で、
女性にもてた。こうした生活ではいかなる思考も育たず、かわりに感覚の喜びだけが大きくなる。
はっきり言えば、動物の生活だった」一刀両断です。好きです。
そのゴズデンとの火遊びの末、身ごもった美しい未亡人が、自殺しようとしていたのです。
サタースウェイト氏が熱弁をふるいます。
「神という演出家の下で、壮大な劇に参加しつつあるという巡り合わせを、あえて無視することが
できますか? あなたの出番は、劇の最後までないかもしれません。ほんの端役か、エキストラの
一人かもしれません。しかし、あなたがつぎの役者の出番を作らなかったら、
劇の進行がとまってしまうかもしれないのです。
一個人としてのあなたなら、だれも気にかけないかもしれませんが、特定の
場所にいる一人の人間としてのあなたは、想像もできないほど重要なのかもしれないのです」
自分の命は自分のものだとは、言えないかもしれないと述べます。
東京オリンピックは終えましたが、金メダルを取るにしても、ビリに甘んじるとしても、
競争相手がいなことには不可能な話です。

その二人の綻んだ縁をとりもつのが、サタースウェイト氏であり、
クイン氏の素性が明らかになる印象的な短編です。
死してなお残る、願望や願いがあることを信じたい気持ちになりました。

次回はマープルさん初登場の『牧師館の殺人』
ブラボー!!


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