市川市動植物園のバラ園二組は「オンライン東京花展」用の製作、写真撮り

2021年05月24日

クリスティ読破7『アクロイド殺し』

はい、こんにちは。          雪華ホーム


市川市動植物園のバラ20210515


いよいよ、名作『アクロイド殺し』でございます。
1926年刊行、アガサ26歳。意外に早い段階の作品なのだなと思われませんか?
出版後、大騒ぎの当に時の人となるのです。
私生活では、この年最愛の母親を亡くし、
同じく最愛の夫からは、「好きな人ができたから別れてくれ」と一方的に言い渡され、
アガサ失踪事件が起こります。
この状況で失踪したくなるのに何の疑問もわきませんし、
そればかりか、一週間や十日ほど静かに一人っきりになって何が悪いかとさえ憤ります。
世間が放っておかないほどに当時既に有名人となっていた証でしょうがね。

そもそも『アクロイド殺し』の内容が大騒ぎとなる原因で、ご存知の方も多いと思います。
この新作の手法がフェアか、アンフェアかで大いに論争になったらしいです。
結論から言いますと、フェア以外の何物でもありません。
これがアンフェアであるという意見の方は、
ちゃんと小説を最後まで読んでいないか、推理小説の楽しみ方を知らない方なんだと思っています。

アガサの100冊余りを突然再読(いくつか、初読もあり)しようと思い立ったわけですが、
今回は特に良かったと感じました。再読するに足る作品です。
私の長年の疑問が解けたのは、笠井潔氏の解説のお陰でございます。全く同意見でしたから。
一読してから、以下をどうぞお読み頂きたいのですが。
よく、アクロイド殺しを叙述トリックの元祖であるとか、信頼できない語り手つまり犯人、
などのジャンルとして言及されますでしょう? 
あれが解せないのですが、ひっくるめて全部をそうカテゴライズするなら、仕方がない。
小さな叙述トリックはあまり好きではありませんのよ、私は。
読み始めますと、ずーっとね、僕は○○した、という文章が続いて、
途中で、僕というのは女であるということを知らして、びっくりさせるというのがありました。
それが、何ですか? みたいなびっくりはしますよ、確かに。
ただ、本題とあまり関係ないでしょってなるような代物も中にはあるんですよ。
信頼できない語りというのも、胡散臭くて、
推理小説以前に小説としてどうなんでしょうか?

アガサ第七作はシェパード医師が、一人称で物語を始めますの。
今まで、ポアロのモナミはヘイスティングズ君がその役目でしたからね、
ああ、ワトソン役が今回は替わったのだなと思いながら読み進めることになるでしょう。
ヘイスティングズがたまに、トンチンカンな推理をしても、ご愛敬です。
語り手が、天才探偵と読者の間に立ち寄り添ってくれるはず……ですから。
わたしは○○である、という小説なら日本では私小説と呼ばれるかもしれません。
普通に「わたし」が展開を導く小説……。
第4章殺人事件勃発の舞台へとシェパード医師が誘います。
来た来た! 定石。
全巻27章ありますが、23章でなんとなんと、
今までの一人称の小説だと思ってきた物語が、
シェパード医師の手記であることが明かされるんです。
小説の概念をひっくり返されるのです。
そこでポアロは、つまり私達が今まで読んできた手記とは知らなかったけれども、
同じ内容の手記を読むことになります。
「ヘイスティングズよりも、私は私はって、自己主張しない文章で、正確な描写がいいですね」
って、誉めています。「一部控えめな表現だけれどもね」とも。
犯人を言い当てるための土俵は全く読者と同じであり、フェアです。
ポアロには先入観がないだけでね。
アガサのトリックは通常の本格推理小説のカテゴライズに入らないのではないかと、
考える要因の一つは、先入観をひっくり返すことなのです。
心理トリック? のひとつかもしれませんが、やっぱり一言では言えないような、
混み入り用でしかもそれが、どんぴしゃのネタばれになるので、話せないことが多いです。
『高慢と偏見』に似ています、見えていた現実が実は違った真実があったのだと気づいた時の
ショックのはかり知れなさを推理小説に応用した最初の作家ではないでしょうか。
密室やアリバイや消失・出現やら、推理小説らしい本来の楽しみをもちろん含んだ上での、
もっと大きな謎を提示しているように感じます。
その後開花する手法はそれをもっと広げていきます。殺人は何百頁も起こらない(笑)。

再読してみて、随所に手記であることを微妙に表現しているところもありそうで、
翻訳の方も苦労されたことでしょう。
14章などは、「以上のように記録したポアロとの会話のあと、…事件の経過をありの
ままに書き連ねた…」など大胆な描写もあるのです。でも、手記とはまだ気付かないのです。
未だかつてない、手記を小説と思わせる、これがトリックですよ。
小説上ではフェアでないかもしれないけれども、手記では犯罪を隠すのは当然でしょうから。
今まで読んできた400頁近くを完全にひっくり返しますの。
これを叙述トリックと呼ぶのだとしたら、とてつもなく大きな叙述トリックです。
シェパードが最終章を次のように書きあげます。
「”その手紙は九時二十分前に運ばれてきた。わたしが彼のもとを辞したのは、ちょうど九時十分前で、手紙はまだ読まれていなかった。わたしはドアのノブに手をかけたままためらい、振り返って、
やり残したことがないだろうかと考えた“ ごらんのように、すべて事実である。
しかし、最初の文章のあとに星印を並べておいたらどうだろう! 
空白の十分間に何が起きたのだろう、と不思議に思う人がいただろうか?」
いえ、いないのでございます。

女性同士の何気ない噂話や会話の中に、重要なキーをステルスのごとき偲ばせることができるのも
アガサの得意技の一つですが、
これは、堂々たる直球勝負の、たった一度っきりしか使えない大きなトリックでした。

献辞にある通り、「本格推理小説が好きなパンキーに捧げる」のパンキーという人物は
いとこだったかしらん? 親類でしょうが、記憶が定かではありません。
いずれにしろ、アクロイド以前の冒険ものテイストな小説が続いたところで、
実に良いおねだりをしてくれたことで、アガサの世界が飛躍的に広がったのだと思います。
その後も読者からの手紙に添って、トミーとタペンスが復活したりする逸話にあるように、
他人の要望に柔軟に応えられるだけの懐の深さとハードルを上げられる実力があったのだと
証明されました。

さらに、アガサの恐ろしさは、本格推理小説好きだからこそのバイアスがかかることでかえって、
驚きが増すことを計算しているところでしょう。
「ねえ、アガサ。スタイルズ荘とかゴルフ場みたいな本格推理小説をもっと書いてほしいなあ。
素晴らしかったよ、僕ホームズにも負けてないと思うよ」(イン イングリッシュ)
「コナン・ドイル神だしー」(イン イングリッシュ)みたいなことを散々聞かされていたと
想像するのでございます。
ワトソンが犯人だったら、そりゃあぶっ飛びますからね。

年齢を経てだいぶ改善されていったかもしれませんが、自伝によれば元来内気で閉じこもり気味だった
少女のように見受けられます。思うことの半分も他人に語ろうとはしない性格だったと思われます。
それが、ひとたびペンを持つや、なんと読者をきりきり舞いさせることか。
あっぱれの歴史に残る大作でございました。

ブラボー!!



この記事へのコメント

1. Posted by iniguipiets   2021年05月26日 08:13
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