赤い新芽クリスティ読破6.『チムニーズ館の秘密』

2021年05月05日

クリスティ読破5.『ポアロ登場』

はい、こんばんは。          雪華ホーム


20210503笠間陶炎祭


『ポアロ登場』(原題Poirot Investigates)は1924年に刊行されたアガサ初の短編集でした。
私が参考にしているのは、早川のクリスティ文庫です。
その解説によると、収められた14篇は全て The Sketch 誌に1923年に発表されたもので
あるそうです。

短編ですから、一つのお話は原稿用紙で3〜40枚ぐらいではないかと思われます。
3月に2作、4月に3作、5月に4作、9月に1作、10月に3作、11月に1作。
いくら短編でも凄いです。前作の長編『茶色の服を着た男』を執筆しながらですものね。
6-8月と12-2月はきっと休暇(笑)ですよ。
自伝の中で『春にして君を離れ』(書名は記憶があいまい)だったか、一晩で書き上げた
というお方ですから。いくらプロとはいえ……。

自宅では長らくダイニングのテーブルにタイプライターを置いて、書いていたそうです。
再婚相手の考古学者マックス・マローワンと共に中東の発掘現場に同行した際は、
家具なんかありませんから、木箱で執筆しようとしたそうですが、
流石に膝が中に収まらないとタイプが打ちづらいということで、止む無く初めて机を買ったという
エピソードも語っていますの。
弘法は筆を選ばない、というのは本当のようでございます。
ちょっと書くにも資料やメモやPC検索が必要な私とは違って、
どこでも、いつでも書けるということに驚愕いたします。
頭の中に全部入ってる?
私事ですが、同人誌でちまちま時代物ミステリーを書いています。
自分で名付けたはずの登場人物の名前をしょっちゅう忘れます。
「あれ、誰?」とね。まだ認知症ではないはずですが。
アガサの頭脳ですから休暇先でも執筆されていたのはもちろんのことでしょう。

本題から外れました、短編集はどれもヘイスティングズ視点から、
元ベルギー警察官ポアロと共に事件解決に取り組む物語です。
中には、ポアロの失敗談も披露されますよ。
この短編集の題材がバリエーション豊かなことに気付きます。
大御所シャーロックを多少意識したかもしれませんが、それは物語の骨格だけで、
内部にはアガサの個性が出ています。

ほんの少しだけ、それぞれの物語に触れてみましょう。

特に『ヴェールをかけた女』の意外性やどんでん返しは、
その後の長編の中で何度も騙されるアガサの得意技の一つですから興味深いです。
ヘイスティングズがポアロに状況説明する描写として、「君は男の描写よりも女の方が、
より詳しく細部にわたっているな」というようなことを言うんです。
これって、アガサ自身の描写にも言えるかもしれません。
アガサの描く女性像はとても目に浮かびますし、強く印象に残るのは私だけではないでしょう。

『エジプト墳墓の謎』が、この時期に既に小説の舞台になっていることに驚かされます。
中東やエジプトの発掘現場が舞台になるのは、再婚相手の考古学者の影響であると、
しばしば思われがちですが、そうでもないのです。
アガサは当時の普通の学校教育を受けてはいずに、もっぱら家庭教師と、大好きな本と、
パリに親子で語学学習したりしていたようです。
そういった教育環境から普通でない視点が得られたのかもしれません。
さらに、経済的な理由からロンドンで社交界デビューするよりもずっと安価にすむという
ことからエジプトのカイロでデビューしました。これも普通ではないでしょう。
有力な貴族達は両方に精通していたらしいですから、
充分効果があると踏んだ、夫に先立たれたお母さんの知恵でございました。
本人の自伝では、ピラミッドだの遺跡だのには全く興味がなく、もっぱらダンスに夢中だった
と述べていますが、
どうしてどうして、門前の小僧だったわけです。
子供時代の経験はとても重要ですね。もっともそれを生かすかどうかは本人次第でしょうが。
後の失意の旅がオリエント急行だったことも、なにか運命的でございます。

『<西洋の星>盗難事件』は、2組のカップルの関係性が実は見えていた通りではない、
というアイデアが生かされています。
これも、長編としてさらに磨きのかかった物語が次々と生まれるパターンとなるものです。
無いものを盗む、というアイデアも面白いと思います。
あっと驚く後世に残るトリックメイカーとしてのアガサももちろんありますが、
普段の人間観察や日常の不思議を上手に取り込む技がアガサの真骨頂だ、と感じています。
あと、ミスリードのうまいことと言ったら憎らしいばかりでございます。

また、会話が楽しいです。この短編集ではポアロとヘイスティングズの会話、
もっぱらヘイスティングズ君がやられっぱなし、言われ放題なんです。
書いているご本人アガサが、鼻持ちならないポアロを気嫌いした時期があるというほどに、
辛辣なポアロ像はテレビドラマとは少し違いますね。

『マースドン荘の悲劇』では、少し怪奇趣向を取り入れています。
たぶんファンサービスではないかと思っています。アガサ自身にはオカルトや亡霊を本気で
面白がる性格は無いのではないかと想像します。
多くの作品がとても健康的と言いますか、健全な精神の持ち主であることを感じさせますのでね。

『安アパート事件』は、小さな謎から大きな謎に繋がるパターンものです。
邦訳タイトルが、私には、外階段を上るとカンカンと音を立てる安普請の木造2階建てアパート
を想像してしまいますが、違います。
高級なアパート(日本では高級マンション)の中の一室だけが、なぜか法外な安値で
貸し出されるという不思議な出だしですの。食いつくでしょう?

『狩人荘の怪事件』は、ポアロの安楽椅子探偵ものなのが見所でございます。
ポアロさんは椅子ではなくて、コロナならぬインフルエンザにかかりベッドにいるんです。
一人二役トリックも見事に炸裂。

『百万ドル債権盗難事件』これなど、タイトルが既にトリック。
事件そのものをひっくり返す、当時としては斬新でしょう。

『首相誘拐事件』では、現場を巧妙にミスリードします。やられた!

『イタリア貴族殺害事件』は、現代では胃袋の中を調べることができるので、
やや古さを感じてしまいます。
ただ、アガサ作品全般には良い意味の古めかしさ(時代)はありますが、
古臭さを感じることが少ないのは化学や技術的なトリックが少ないせいかもしれません。

『チョコレートの箱』では、先天的な色覚異常だけでなく、白内障によって色の識別が難しくなる
こともあるのだと知りました。

『グランド・メトロポリタンの宝石盗難事件』では、いかにも本格推理という現場図面が出てきて、
ニヤリとします。物凄いトリックというのではないのですが、これなら実際にやれそうかなという
リアリティがあります。

『謎の遺言書』は遺言書を残した人が病で亡くなるだけで、事件はありません。
それでも、読ませます。殺人事件が起こらなくても読ませる一級のストーリーテラーですもの。
遺言書の内容が謎なのではなくて、本当の遺言書がどこにあるのかが謎なのです。

『ミスタ・ダヴンハイムの失踪』は私の好きな話です。
犯罪者にとって最高の隠れ家は刑務所だなって、納得でございます。
木は森に隠せというのとは、発想が違います。
短い文字数の中で、騙しのテクニックを駆使してくれますのでたまりません。

これで全部の短編ですかね、いえいえ、
『消えた廃坑』これは、冒険ミステリ的。ポアロは投機には興味がないらしいです。

以上14のお話。短いので寝る前のほんのひと時のお楽しみにぜひどうぞ。

もちろんこの時職業作家ですが、これらの短編が後の長い作家活動を支えるための勉強というのか、
練習になっていったのではないかと思うのでございます。
その萌芽をまざまざと見ることができますから。
全てを糧にして日々進化していく、アガサってそういう魅力的な作家でございます。

ブラボー!!



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