秋らしくなりました秋桜

2020年10月05日

『ラストディール 美術商と名前を失った肖像』

はい、こんばんは。          雪華ホーム


20201005彼岸花


通りには金木犀の香りが漂い始めましたね。もう10月……。
今回ご紹介する映画DVDは、「ラスト・ディール」という老いた画商の物語です。
フィンランドのヘルシンキが舞台で、あれが国会議事堂、
そしてメイン通りの風景なのかと興味津々でございました。ムーミンの国ですよね。

オラヴィは画廊の経営者ですが、あまり儲かっているようには見えません。
金持ちの道楽で絵画を集めているわけではないので、高く売れる絵をオークションで
落とさねばなりません。
「一発当てたい!」というような下品な言葉使いは出てきませんが(苦笑)、ラストの
大取引を決めて引退したいと考えるのは当然のことでしょう。
商売を始めた当初は絵が好きだったのでしょうが、
生きていくためには、何かと無理が生じるもので、オラヴィのしわ寄せは家族関係
の悪化を招いたようです。
妻とはだいぶ前に別れ、一人娘レアとも疎遠。そのレアから渋々ながら連絡が入ったのです。
「息子が問題児で、職業体験の課外授業の単位が必要なので、働かせてほしい」
娘も勝手と言えば勝手なもので、酷い父親だと思っていても肉親に頼むしか仕方がなかった
のでしょう。
かくして偏屈爺さまと不良少年オットーとの出会いとなるわけです。
そのシーンが面白いですよ。先入観が入ってますからねえ。
画廊に入ってくるような客には見えない少年が、絵をまじまじと見つめ、
価格を見てこれは高そうだというものを今にも盗みそうな場面を、
オラヴィは監視カメラ映像から見て、慌てて店頭に出ますの。
誤解のようではありましたが、後程留守番をしているときなども監視カメラの存在を発見し
ギクリとしていますから、出来心はあったかもです。
偏屈爺さまと不良少年とその母、みんな怪しくて、みんな市井の貧しさの中にあります。
さあこれから、ハートウォーミングな話の展開になるんだなと期待していると、
意外に先の見えない展開になるところが素晴らしいです。
なぜならビッグディールは中盤に早くもやってくるからですの。山場はこれじゃない。

この映画は、これみよがしの演出や泣かせましょう式のやり過ぎ感もなく、品の良い、
端正さを感じます。
オークションの場面などハラハラさせますが、全体としてゆったりとした空気感が心地いい。
夕陽をバックにした二人の人物の絵をオラヴィがオットーに説明するのですが、
「命を歩んできた者と、歩み行く者の絵だ」と。
オラヴィ達を暗示しつつ、後半の物語へと繋がります。

オットーは、実は頭がよく機転もきき、ハンサムな少年です。
こんな孫がいたことがオラヴィの救いでございます。

今までの知識と経験から、終に得たビッグディールに挑みます。
ナケナシの一万ユーロを叩いて手に入れたのですが、
その半分近くは孫のお金ですからね。どうしようもない爺さまです。
レアは怒り狂い(さもありなん)、また親子孫は絶縁状態に戻ります。
オラヴィがオットーに諭すシーンがありました。
「金持ちになるには、貯金をした者ではなくて、投資をした者だ」
一理はあります、投資するお金をまず貯金しなくてはいけないような気もしますが。
オラヴィは一世一代の投資に賭けます。
これをギャンブルととるか、無謀ととるかは見る人の生き方次第です。
ピンときた肖像画は、サインが無く誰の作とも知れないものですから市場価格は低いです。
それをレーピン作だと見抜くんですね。絵の特徴から類推できるなんて、流石でございます。
その一部始終をオットーは目の当たりにしていますから、尊敬の念を持ったことでしょう。
ただ、世間的には贋作の疑いも免れません。
オークション会社の差し金などもあり、その絵は売れないのです。換金できなければ万事休す。
店をたたむ決心をし、借金を全て返済し、
がらんとした店内で、オラヴィは落札したレーピン作の謎の肖像と初めて対峙します。
一枚だけを残しました。
この男は誰なんでしょう?
何度も眺めた絵ですが、本当の意味で絵の内面深くを見つめることになったのです。
この時、
レーピンから誇示よりも謙虚さを学んだに違いありません。
肖像の主○○○○から愛を教わったに違いありません。
絵の謎は、本編を見てくださいね。
サインが無いのはなぜなのか? というミスリードさせておいて、
本当の謎はこの肖像が誰なのかが、きっと誰にもわからなかったのでしょう。
肖像の名前がわかれば、サインの無い理由も自ずとわかるという逆の流れでございます。

全員が笑顔でダンスするようなハッピーエンドはありません(そういうのも好き)。
人生の後悔や挫折、商売の失敗、ボロボロのように見える結末ですのに、
「命を歩んできた者が、歩み行く者」へと確かに伝えられる真実さえあれば、
どれほどの幸福感に満たされるものかと胸を打たれました。
自分を理解してくれる者がいることが、どれほど心安らぐものかと、
改めて考えさせてくれます。
そうであるならば、あの映画のように、鼻歌まじりにあっけなく逝ってしまうことは、
大往生でございます。やり切った、潔さを感じました。
結果的に金銭的価値のある遺産を残しはしましたが、大事なものはそれではありませんでしたね。
残された者も同じ真実の思いを持てたことが一番の宝物でした。

オラヴィが肖像画の作者としていたのは、近代ロシア美術のイリア・レーピンという画家で、
19世紀のドストエフスキーやトルストイ、チャイコフスキーと並んでロシアを代表する一人
なのだそうです。はい、調べました。
晩年はフィンランドに住んでいましたし、本格的にロシア帝国美術アカデミーで学ぶ前に
イコン画家の徒弟として修業を積んでいたらしいことがわかりました。
レーピンが宗教画をたくさん描いていて、それがフィンランドにあっても不思議ではありません。

レアの希望として職業訓練の単位は大学進学のためにどうしても必要だったようですし、
オットーは生活のために、学校で物を売っていたのでしょうし、
映画の脚本にいちいち納得し、実によく出来た作品だと思いました。

余談です。
フィンランドのカフェでね、シナモンロールを持ち帰るときに、
一個か二個でも紙の箱に詰めて、紐で結びその紐を持ち手にするように手渡すんです。
ヨーロッパでは以前から紙の袋が一般的でした。
一方日本ではエコバッグ・フィーバーじゃないかと思うほど、すっかり定着しました。
私はエコバッグというかサブバッグなるものは、以前からだいたいは持参しております。
複数のお店で購入したものを一つの袋に入れたかったり、持ち手が幾分負担が少ないため
です。ですから、そこに入れるために小分けの袋は欲しいのですよ。
袋はごみ袋としても必要で、別に100枚入りのものを買ったりします。
たいていのお店のビニール袋は有料ですが、それを買っても、後ろめたい気分。
プラスチックのストローが紙のストローになり、けっこうな吸引力が必要ですよ。
どれほどのエコになっているのか、根拠を示して欲しい気持ちがいささかあるんでございます。
植物由来の袋ですとか、紙のバッグとか、プラスチック製品ではなくて、
エコなもの、別素材のものを代わりにつけてくれても罰は当たらないのではないかと思うのですが、
いかがなものでしょうか。
ビニール袋分、お店は潤っていないのかしらん? と恨めしい目つきの雪華でございます

この映画は2018年アメリカで公開されていたらしく、
あるリサーチで映画評論家、一般視聴者ともに88%の高評価をつけていたそうなのですが、
日本のネット評価ではどうも、もひとつのように見えます。
いやいや、フィンランド映画恐るべし、と私は思いましたので、機会があればご覧ください。

後味爽やかです。ブラボー!!




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