紫のつつじ、玄海つつじ彼岸桜

2017年02月21日

DVD『ハドソン川の奇跡』が素晴らしい。

はい、こんばんは。          雪華ホーム

河津の椿



『ハドソン川の奇跡』は、原題『サリー』、
2009年に起こったUSエアウェイズ1549便の実際に起きた冬の航空機事故の映画化です。

あわや大惨事となる航空機事故を救った機長の実話であり、比較的最近の有名すぎる内容。
機長は天才だ! 奇跡だ! と浮かれまくっていた印象しかありませんでしたから、
その後の、惨事を免れるために機長が取った行動が果たして正しかったのかどうか、
英雄視されていたサリー機長に、疑惑がかけられ18ヶ月も苦しんでいたとは全く知りませんでした。
本筋はこっちだったのです。

マスコミや人の関心というのは、どうしても一方に流されがちですよね、
イーストウッド監督がそんなありきたりの視点に関心を抱くはずもありません。
ですから、邦題はミスリードを狙ったものでしょう(うーん、どうでしょう)。
それは、ともかく。
他の空港に着陸できた可能性もあるのではないか、という事故調査委員会の追求に
揺れ動く一人の人間、サリーの生き様がよく描かれていました。
ヒーローと祭り上げられているサリー機長の真骨頂は、
着水着陸の奇跡を起こしたことではなくて、
真摯に仕事に取り組む当たり前の行動だったことに気付きます。
実はそのプロ意識が、本当に凄いこと。

アクション映画のような派手さはありませんが、
自身も恐怖に耐えているだろう状況でも冷静でいることは並大抵ではありません。
着水してからも、最後まで全員が脱出しているかを執拗に確認している姿や、
生存者の数にほっとする姿は、日頃の訓練によって養われた経験や人柄を偲ばせるようで、
演じるトム・ハンクスさん、またも代表作を増やしましたね。

私思いますに、創作するという行為は新しい視点を提供することなんだと思っています。
文学でも映画でも絵画でも、およそ芸術の楽しみはそこにあるのではないかと。
それが、創作者の個性であり、オリジナリティでしょう。
ですから受け手は、「ああ、そうだったのか」という新しい発見があり、驚きますの。
それ以前とは明らかに違う世界を知ることになります。

コンピュータの解析と人間の見解には時に違いが起こります。
コンピューターより、人間を信じますでしょうか?
最近はわからなくなることが多いように感じます。
ついこの前の将棋の世界の疑惑なども、裏を返せばコンピューターに頼った方が勝つのではないかという、
疑心暗鬼があります。
CTだのMRIだのに写らなければ、病気は存在しないと医師でさえ考えがちです。
ウィル・スミスさんのアメリカンフットボールの映画の中にもありましたね。
患者側の明らかに異常な状態よりも、検査の結果を重視するものです。
この映画のラストで、
コンピューターでのシミュレーションが、もう少しでサリーを裁きかねないところにまで、
追い詰める場面がありました。
あそこは、冷や冷やしました。
長年勤めた功績よりも数分の行動で、その後の人生が決められてしまいますから。
誉めそやすマスコミが、一転して掌を返しますでしょう?
何度も試して、確か17回目とか、
どうにか他の空港に無事着陸できる様をコンピューター画像は見せていました。
「あなたにも、できたはずでしょう」と。
事故は一回こっきりですから。事故の練習はできません。
映画の演出は、それをこわだかに弾劾するわけではなく、サリーはただ静かに聴いているだけです。
パニックものの映画のように、墜落シーンをこれでもかと感情を揺り動かすような、
描き方もしませんでしたね。
もの悲しいイーストウッド監督自作のピアノ曲が、その節度ある創作態度に相応しいです。

それでいて、ジョークは効いています。
「あなただったら違った風にやっていましたか?」と聞かれた副操縦士の
「そうだね、私なら7月にやるね」という洒脱なお応え
クリントさんに、ブラボー!!

サリーさんの疑惑が晴れて本当に良かったですよ。とても楽しい映画でした。
エンドロールまで笑顔で締めくくってくれるイーストウッド映画は珍しいです。
特典映像に、クリントさんも軍に所属していた時代に川に不時着したことがあるような逸話を披露しています。
そこからも、
みんなが騒いでいる「奇跡」よりも、
現実のサリーさんの実直さに好感したことが製作のきっかけであるように感じました。

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
紫のつつじ、玄海つつじ彼岸桜