クリントさん84歳の物凄さ!ミュージカル映画『ジャージー・ボーイズ』残暑お見舞い申し上げます

2015年08月17日

天城の私雨

はい、こんにちは。          雪華ホーム

伊豆浄蓮の滝あっぷCIMG7827





伊豆の踊り子の像


道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思ふ頃、
雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた、……

私雨と言うのは、狭い範囲にのみ降る通り雨のことなんだそうです。
雨まで、素敵に響いてきますねえ。

松本清張の『天城越え』は、『伊豆の踊り子』を下敷として、同時代(1926年、大正15年頃)を背景に描かれていると言われています。

『伊豆の踊子』の主人公は「朴歯の高下駄」を履いた「高等学校の学生」、『天城越え』の主人公は「裸足」の「十六歳の鍛冶屋の倅」、
また『伊豆の踊子』の主人公は峠の茶屋で50銭銀貨を1枚茶代として置くが、一方の主人公の「全財産」が16銭であること。
『伊豆の踊子』は修善寺から天城を越えて下田へ向かう設定となっているのに対して下田から修善寺へ向かう設定となっているなどなど、対比させつつ清張流推理小説を作り上げたわけです。

私の狭いイメージですと、純文学はドロドロしたものが多くて、エンタメはとっつきやすくて明るいイメージとなるのですが、まあ、全部ということではなくって例外もいろいろありましょう。
清張作品の方が、世間の耳目を集めやすい部分はエンタメ的ですが、そのため俗っぽくてドロドロした世界を執拗に描いています。

川端康成の浄化され昇華された世界は清清しいの一言につきます。
モデルとなった現実の踊り子を美化しすぎているのではないかとも言われています。
兄や兄嫁は悪い腫物に悩んでおり、朝などは起き上がれないような酷い状態だったそうですが、
悩んだ末に書かなかったそうです。
この取捨選択があってこそ生まれた傑作なのでしょう。
踊り子一行と一時を伴にした青年の心に映ったものが、美しい姿だったということで十分なはずですから。
それだからこそ再び巡り合うことはないだろうと思われる踊り子の切ない身の上が、
読後も胸を締め付けます。
ドロドロしていることこそが、リアリティに富んでいるということではなくて、
理想の世界を描くことも芸術の一つの方法なのだと教えられた文学作品でした。

最近思いますに、
純文学の最高の賞が芥川賞で、エンタメが直木賞という定義付けが、
正しいのかどうかわからなくなりつつあります。
何が文学で、何がエンタメなのかも難しい線引きではありますがね。

定義はどうでもいいのですが、
どちらも素晴らしい小説に変わりありません


このお盆休みは、天城の温泉に浸ってきましたよ

伊豆わさび田


伊豆修善寺赤い橋


伊豆修善寺の竹林





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