映画『ルーシー』かっこいい!春を探して

2015年02月24日

『完全犯罪に猫は何匹必要か?』

はい、こんにちは。          雪華ホーム

札幌羊ヶ丘展望台のクラーク博士







『本格ミステリーワールド2015(監修島田荘司)』によりますと、
今年度の読者に勧める黄金の本格ミステリー(対象2013.11〜2014.10)は、
山本弘『僕の光輝く世界』、鏑木蓮『イーハトーブ探偵』。遠藤武文『フラッシュモブ』、下村敦史『闇に香る嘘』、芦辺拓『異次元の館の殺人』、天祢涼『都知事探偵・漆原翔太郎』、深水黎一郎『大癋見警部の事件簿』、東川篤哉『純喫茶「一服堂」の四季』、霞流一『フライプレイ!』、柄刀一『密室の神話』。

以上はまだ読んでいない本ばかりですが、参考にします。
今日はこの中にも選ばれている東川篤哉さんの小説に、最近ものすごく夢中になって読みましたので、その感想など。
と思いましたが、枕(落語の導入部分のこと)の方が長くなりましたの、お時間のあるときにおつきあいくださいませ

ミステリーと本格ミステリーの違いをご存知ない方がすごく多いのではないかと思います。私の周りでも、「ああ知ってる、すっごいミステリファン、東野さんと宮部さん、全部読んでるもん……」というのが一番多い反応です。大作家さんは毎年ベストセラーをお出しですが、上に挙げました10人の中にさえ入りません。ジャンルが明らかに違うのでございます。
何を『本格』たるかは、時代によっても変化しているようですが、これを論じるだけで一冊の本ができあがるくらいの喧々諤々の論争が幾度も繰り広げられてきました。
『容疑者Xの献身』は、私も本格推物ではない! と思っています。でも、私が言うまでもなく非常に優れたミステリーであって、面白くて、好きな本です。質とジャンルの問題は別物かと。

私、去年の末に近所にある『ちえりあ』の講座で「本格ミステリへの誘い」という3回からなる北大の大学院の先生のお話を聞いてきました。専門は夏目漱石なんだそうです。こっちは、生徒の卒論対策に研究を始められたとのこと。きっと、ミステリ研究会のメンツの方がもっと詳しいのではないかと、途中で思ったりしましたが、学問としてはこのようにミステリの歴史を説明していけばいいのかと感心しつつ勉強しました。
あの講義に『本格』をつける意味があったのかなあというのが、全部終わった後の正直な感想でしたのね。

一般的に『本格』推理物の定義とは、ヴァン・ダインの二十則(1928)ですとか、ノックスの十戒(1928)などが有名です。憲法ではないですから、四角四面にこれらに縛られる必要もないと思うんですよ。限度というか、解釈がまた人それぞれで面白いのです。クリスティの叙述トリックは好きですし、それより先行して発表された作品もあるでしょう、それはいいのです。でも、もうこれ以上はいらないのではないかと思うのです。日本語は主語に当たる言葉がたくさんありますので、僕と書いて実は、そう自分を呼ぶ女だったみたいなこともできるのです。この手のものは、もうたくさんだな……と思うわけです。最初は「おっ」と思ってもね。今はズルイの部類。東野さんの例では、ワトソン役の人物が犯人である、というのも、これはズルイです。すっかり、術中にはまってるんですけどね。何をもってズルイというのか、自分でもわかりずらいのですが。
クリスティの例で言えば、メイドが犯人というものがあります。100冊ぐらいいろんなバリエーションで書かれていると、たいして注目しない人物を犯人にするというのは、私にとってはOKなんです。これまた、何をもってOKとするのか、自分でもわかりずらいのです。すみません。プロローグが本題と何のかかわりもないとか、双子は単なる目くらましだったとか、たくさんの無関係な登場人物も、OKなんです。他の作品で散々騙されているからこそ、何にでも注意を向けてしまうんですよ。たくさん読めば読むほど、わからなくする天才ですね。これらは全て、私の中では大OK。

私の好みはそれとして、『本格』好きの威勢の良い論調が『本格ミステリーワールド2015』にも、巻頭20頁に渡っています。数少なくはなったのでしょうが、好事家はいるのだなと嬉しくなります。

ミステリなのか、ミステリーなのか表記も曖昧、推理小説なのか、探偵小説なのか、呼び名さえ時代によって移り変わります。
面白ければいいんですよ、要は。でも、『本格』好きにはどうも『本格』こだわりたい癖があるようです。
山本周五郎曰く「小説にはいい小説と悪い小説があるだけだ」、文学じゃない、大衆文学・通俗小説だとさんざん言われたからではないでしょうか? 純文学という呼び名は日本だけですか? よくわかりませんが、純でない他の文学は不純だと言いたいのよ(?)。決して、踏み込ませないぞっという固い意思を感じますでしょう?
『純』こだわりたい気持ちがわかるような気がするのです。風前の灯なのは『本格』と同じかもしれませんでしょう?
ひととき楽しませるエンターテイメントと、深く人の心にいつまでも突き刺さる純文学とは、確かに違うもののようでもあります。でも、たまに、両方を備えているものも、両方無いもの(笑)もあるような気もするんです。

1935,6年の昔の探偵小説の有名な論争がありました。
甲賀三郎の「探偵小説に文学的芸術性は不要」説。
木々高太郎の「探偵小説芸術論」説。
真っ向対決でしたのね。これって、今も続いています。というか、分化してるんでしょう。あんな、ミステリもある、こんなミステリもあるという具合に。

それらを、踏まえて東野さんではなくって、東川さんの小説は『本格』ミステリ」として実にうまくできていて、読後しばらく放心状態になるほどのクロージングの冴え。ユーモアとおちゃらけにまみれた風を装って、謎とトリックという骨子はちゃーんと忍ばせてある、もちろんでございます。
私の最初の出会いは、著者の偉大さに全く気付かずに、馬鹿にすらしてしまいまして(ごめんなさい!)、いつ中断しようかなと思いながら読んでいたのです。それだけに、ラストは驚愕のトリックでした。お笑い感覚も徐々に浸透してきまして、噴出した箇所も数知れず。
本屋さん大賞で話題になった、『謎解きはディナーのあとで』よりは、
デビュー時、初期作品に優れたものが多いなあと思っています。『完全犯罪に猫は何匹必要か?』『交換殺人には向かない夜』『ここに死体を捨てないでください!』などが、超好き。ブラボー!!

本の装丁がね、漫画みたいですから周囲からは知的な中高年が読む本には絶対見られないでしょう。お気をつけください。私は知的じゃないからOKですがね……

札幌3月の時計台



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