2013年03月15日
大阪でこそ、守り立ててほしい「水谷政次郎」さん!
鹿児島で、白熊食べてきたのでございます(今忙しいのでこんなことを書いてる場合じゃなかった)。
↑上のような本があることをご存知の方はたぶん少ないのだと思います。
私が4年前、実に28年ぶりに大阪に戻りました。大阪で生まれ20年間育ったものの、できの悪い子供だったので、あんまり大阪のことを知ってるとは言えません。
ダーリンの転勤で、思いもせず四年前に帰阪しました。それにはきっと、もっと大阪のことを知りなさいという神の思し召しではなかったかとちょっと考えました(急に運命論者になったか)。
近所の図書館で、地域を知るコーナーがありまして、手に取ったのがその『水谷政次郎伝 マルキパンの光と影』という小さな本でした。あんまに感動したものですから、手元にとっておきたくて本を取り寄せました。
水谷さんは、日本で初めてイースト菌を使ってパンを製造した方です。それまでの製造方法のホップ種や酒種では何日もかかる行程を、イースト菌発酵は2時間でできるのだそうです。日本のパン革命の父と呼んで過言ではないでしょう。
アメリカから大量の自動機械設備を輸入しましてね、大阪堀江に東洋一のパン工場を作ったそうです。このパン工場が今の日本の製パン業の原点です。
私が何に一番感銘や衝撃を受けたのかといいますと、水谷さんはすべての技術を公開し、一般の人にも工場を自由に見せたのだそうです。『製パン工業』という本に技術をすべて公開・発刊もしています。
昭和7年から昭和12年にかけて,北海道に大農場を建設し500ha規模の農場を5つも確保しています。この一つが千歳にある千歳マルキ農場であの、千歳空港なんだそうです。マルキの農場跡を海軍に寄付をし,それをアメリカ軍に接収され,自衛隊にいき,それを民間空港にして今の千歳空港になったそうです。
ご本人に聞くことができませんが(笑)、当時の先進的なアメリカからたくさんのことを見聞し学んでいた彼が、あの戦いが無謀であることを知らないわけがないのです。
でも、結果として全てを国に没収されていく時代だったのでしょう。
北海道内には、水谷町やマルキ通りなどの名が残っているのだそうです。彼が北海道を開拓し、小学校建設に多大な寄付をして、町作りを行なった結果でしょう。
詳しいことは、ボランティアとしても活動されている著者の水知悠之介さんのホームページをご覧ください。
松下幸之助さんみたいに、ビジネスとしての成功というものは巨額の富を築くことであって、それは必要なことです。ただ、私にとってジレンマなのは、そうでないと後世には残らないことの現実の厳しさです。
ところでブログの威力ってすごいですね。
「水谷政次郎物語」という(サイドバーにコンテンツ一覧が出ます)、オオゲサに言うとプロットといいますか、ちょっとしたストーリーのアイデアを書いてメモしているんです。
タイトルから検索されて、私の拙文をお読み頂き、
なんと! 水谷さんの著者様と子孫の方から、コメントを頂ました。こちらの記事です。
有難うございました。
大阪文学学校というところで文章の勉強をしようと、去年の秋に入学しました。
書く準備は整っているのです(今は引っ越しで、無理なんですけどね。通信教育に替わります)。
足りないのは、私の文章力と能力だけなのでした。
神よ〜(ここで登場するのよ)頼む〜。
偉人のすばらしいお話をおちゃらけにして、ごめんなさい。
がんばりますので、長い目で見てくださいませ。
あとね、「女探偵 朝霧圭」っていう推理小説にも挑戦中なのでございます。やりたいことはいっぱいあれども、しばらくはダンボール箱とハウスダストが私の友でございます。では、また。
↑上のような本があることをご存知の方はたぶん少ないのだと思います。
私が4年前、実に28年ぶりに大阪に戻りました。大阪で生まれ20年間育ったものの、できの悪い子供だったので、あんまり大阪のことを知ってるとは言えません。
ダーリンの転勤で、思いもせず四年前に帰阪しました。それにはきっと、もっと大阪のことを知りなさいという神の思し召しではなかったかとちょっと考えました(急に運命論者になったか)。
近所の図書館で、地域を知るコーナーがありまして、手に取ったのがその『水谷政次郎伝 マルキパンの光と影』という小さな本でした。あんまに感動したものですから、手元にとっておきたくて本を取り寄せました。
水谷さんは、日本で初めてイースト菌を使ってパンを製造した方です。それまでの製造方法のホップ種や酒種では何日もかかる行程を、イースト菌発酵は2時間でできるのだそうです。日本のパン革命の父と呼んで過言ではないでしょう。
アメリカから大量の自動機械設備を輸入しましてね、大阪堀江に東洋一のパン工場を作ったそうです。このパン工場が今の日本の製パン業の原点です。
私が何に一番感銘や衝撃を受けたのかといいますと、水谷さんはすべての技術を公開し、一般の人にも工場を自由に見せたのだそうです。『製パン工業』という本に技術をすべて公開・発刊もしています。
昭和7年から昭和12年にかけて,北海道に大農場を建設し500ha規模の農場を5つも確保しています。この一つが千歳にある千歳マルキ農場であの、千歳空港なんだそうです。マルキの農場跡を海軍に寄付をし,それをアメリカ軍に接収され,自衛隊にいき,それを民間空港にして今の千歳空港になったそうです。
ご本人に聞くことができませんが(笑)、当時の先進的なアメリカからたくさんのことを見聞し学んでいた彼が、あの戦いが無謀であることを知らないわけがないのです。
でも、結果として全てを国に没収されていく時代だったのでしょう。
北海道内には、水谷町やマルキ通りなどの名が残っているのだそうです。彼が北海道を開拓し、小学校建設に多大な寄付をして、町作りを行なった結果でしょう。
詳しいことは、ボランティアとしても活動されている著者の水知悠之介さんのホームページをご覧ください。
松下幸之助さんみたいに、ビジネスとしての成功というものは巨額の富を築くことであって、それは必要なことです。ただ、私にとってジレンマなのは、そうでないと後世には残らないことの現実の厳しさです。
ところでブログの威力ってすごいですね。
「水谷政次郎物語」という(サイドバーにコンテンツ一覧が出ます)、オオゲサに言うとプロットといいますか、ちょっとしたストーリーのアイデアを書いてメモしているんです。
タイトルから検索されて、私の拙文をお読み頂き、
なんと! 水谷さんの著者様と子孫の方から、コメントを頂ました。こちらの記事です。
有難うございました。
大阪文学学校というところで文章の勉強をしようと、去年の秋に入学しました。
書く準備は整っているのです(今は引っ越しで、無理なんですけどね。通信教育に替わります)。
足りないのは、私の文章力と能力だけなのでした。
神よ〜(ここで登場するのよ)頼む〜。
偉人のすばらしいお話をおちゃらけにして、ごめんなさい。
がんばりますので、長い目で見てくださいませ。
あとね、「女探偵 朝霧圭」っていう推理小説にも挑戦中なのでございます。やりたいことはいっぱいあれども、しばらくはダンボール箱とハウスダストが私の友でございます。では、また。
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この記事へのコメント
1. Posted by mechi 2013年04月04日 23:58
こんばんわ〜
ご無沙汰しています
今度は鹿児島ですか〜!?
また遠い〜場所に行かれるんですね
大阪の生活も
慣れられたのに・・・
4月に入りましたが
すでに鹿児島ですか?
まだバタバタしている最中ですね?
お身体 壊さないようにして下さいね
ご無沙汰しています
今度は鹿児島ですか〜!?
また遠い〜場所に行かれるんですね
大阪の生活も
慣れられたのに・・・
4月に入りましたが
すでに鹿児島ですか?
まだバタバタしている最中ですね?
お身体 壊さないようにして下さいね
2. Posted by k.s 2013年04月05日 18:48
今度は鹿児島ですか?遠いですね。いいとこみたいですが、暑いですか?中研祭みにこれないですね。寂しいですね
3. Posted by 雪華 2013年04月15日 12:09
mechiさま、こんにちは。
お久しぶりですねーお変わりありませんか。
コメントありがとうございます。
そうなんです。鹿児島生活が始まりました。
例年、転勤先に慣れるのに半年はかかるかなあ。
でも、食べるものはいいし、観光地でもありますし、楽しい暮らしができるものと期待しております。
まだ、一生懸命家の片付けと飾りつけをしている状態です。
5月ぐらいからいけばなを始めたいと思いますが、どうなりますでしょう。
お久しぶりですねーお変わりありませんか。
コメントありがとうございます。
そうなんです。鹿児島生活が始まりました。
例年、転勤先に慣れるのに半年はかかるかなあ。
でも、食べるものはいいし、観光地でもありますし、楽しい暮らしができるものと期待しております。
まだ、一生懸命家の片付けと飾りつけをしている状態です。
5月ぐらいからいけばなを始めたいと思いますが、どうなりますでしょう。
4. Posted by 雪華 2013年04月15日 12:16
k.sさま、こんにちは。
遠い〜、ますます遠くなります。
でも、中研のおかげでね、日本全国の方と知り合いになれるっていうのは、私にとって大助かりです。k.sさまには名古屋でお世話になりました。鹿児島にも一人だけなんですが、頼りになる方がいらっしゃいます。なんとか、がんばりまーす。中研祭はとっても訪問できない状態でしたが、全国大会の福岡には行こうと思っています。そのうちお目にかかれるのを楽しみにしています。
遠い〜、ますます遠くなります。
でも、中研のおかげでね、日本全国の方と知り合いになれるっていうのは、私にとって大助かりです。k.sさまには名古屋でお世話になりました。鹿児島にも一人だけなんですが、頼りになる方がいらっしゃいます。なんとか、がんばりまーす。中研祭はとっても訪問できない状態でしたが、全国大会の福岡には行こうと思っています。そのうちお目にかかれるのを楽しみにしています。