菊の香実りに感謝

2012年11月13日

『刑事コロンボ』を本で読んでみたわ

はい、こんにちは。          雪華ホーム

ハワイヒルトン通路縮小版




文学離れと言われて久しいですが、たぶん日本だけじゃあないのでしょう。
わりと健闘しているのが、ライトノベルというジャンルだったり。ミステリー、時代ものなども根強いファンがいらっしゃる。本屋さんの棚にもいっぱい並んでいます。ミステリーの楽しさってどこにあると思います?

1.フーダニット (Whodunit = Who (had) done it)
  誰が犯人なのか
2.ハウダニット (Howdunit = How (had) done it)
  どのように犯罪を成し遂げたのか
3.ホワイダニット (Whydunit = Why (had) done it)
  なぜ犯行に至ったのか

通常の推理小説では、まず犯行の結果のみが描かれ、探偵役の捜査によって犯人と犯行(トリック)を明らかにされていく中で、上記のような「謎」が次第に明らかになっていくんですよね。

でも、『刑事コロンボ』のような倒叙形式では、初めに犯人を主軸に描写がなされ、読者は犯人と犯行過程がわかった上で物語が展開されるんです。
犯人は誰?などのミステリーの要である点を明かしてまでも、尚興味を引くだけのメリットがあるからなんです。
どのようにして犯行を立証するのか? でしょう。
捜査する側はプロですが、どんなに緻密で計算高い犯人だとしても、たった一度の犯行であって、いわば素人なわけですからね。犯人側は、どこかに致命的なミスをしているはずだと、探していく面白さがあります。

犯行に至る動機や、その方法をわかりやすく描写できる点がいいです。何よりも、ミステリーがあまり好きでない方々がよくおっしゃるところの、登場人物が多すぎて覚えきれないという欠点を解決することができます。登場人物の数が少ないので、集中的に犯人の心理を描けるなども長所です。

英語ではinverted detective story(逆さまの推理小説の意)と呼ばれるそうですが、「倒叙」も、逆さまに叙述されるという意味です。。
オースティン・フリーマンの短編集『歌う白骨』でこの手法が初めて用いられたとか、ポーも倒叙ミステリーとしても読める『黒猫』や『告げ口心臓』を著しているなど、推理小説そのものの歴史と同様に、その最初をどこに置くかについては、諸説あるようです。

倒叙三大名作として聞いた事があるのは、フランシス・アイルズ(アントニー・バークリー)の『殺意』、F・W・クロフツの『クロイドン発12時30分』、リチャード・ハルの『伯母殺人事件』だそうですが、あまり面白いという話を私は聞きません(ですので読んだことないのに、言うな。はい)。
その意味で、倒叙ミステリーの大成功を修めたのは『刑事コロンボ』と言っていいのではないかと思っています。

1962年にウィリアム・リンクさんとリチャード・レビンソンさんが制作したTVミステリー・シリーズで、1968年から1978年まで45本がNBCで放送され(日本語版タイトル「刑事コロンボ」)、その後1989年から2003年まで24本がABCで放送された(日本語版タイトル「新刑事コロンボ」)そうですから、
ですから原作はこのお二人、リンクさんとレビンソンさんが創造されたんです。でも新刑事コロンボはお一人が亡くなった後だそうですし、シリーズを通して、いろんな方が脚本を書かれているそうです。
いずれにしても書籍として出したわけではないので、後からノベライズ化したようですね。

当時はTVシリーズ化されるとは思わなかった、舞台用に作った最初の注目作『殺人処方箋』や、他2、3冊を読んでみました。犯人の視点から書かれてあるので、コロンボがしつこくやってくる、みたいな書き方でね、読みやすく編集されています。

ドラマ化されて次第にできあがったコロンボというキャラクターの魅力も大きかったですね。最初の『殺人処方箋』のコロンボさんは、すっごいコワイ。主犯が組み難しとみるや、精神的に脆い共犯の女性を追い詰める場面は迫力ありすぎですもの。
犯人は精神分析医なんですが、女性心理にはうとかったようです。本の冒頭にある「まったく女ってわからないや」っていうコロンボと同僚との会話が笑えます。この落語のような寸劇が気の利いたヒントになっているわけです。それでも、私はわからなかったですけどね(完璧にカモです)。

ここら当たりで、ドラマのイントロの田村さんの顔が浮かんできました。ヘンリー・マンシーニのあの有名なテーマ曲ではなくって、るるっるる〜
一種のパロディでしょうが、さらに進化したとも言える日本のドラマで、『古畑任三郎』は傑作でしたね。昔のブログ→こちらや、あちら。私、古畑さんも相当好きですね。

コロンボ警部、サスガ! 懐かしく思い出した今日この頃でございます。
ブラボー!!

でも、誰が犯人なの? っていう興味も捨てがたいんですよね〜やっぱり
どんでん返しがなあ……。


*****
この後しばらくして、テレビシリーズ版のDVDで、この「殺人処方箋」を見直しましたのね。
それで、ぜひ付け加えたかったのが、テレビでは時間的な都合なのか、カットされていたところが何箇所かありました。
本の方が深みが出せたなあって思った部分が二つです。

一つは、冒頭のパーティーシーンです。主役(犯人)が精神科医ですから、「私は誰?」っていうゲームを通して、「フロイトと共同でヒステリーの研究論文を執筆した人」の名前を挙げてたんです。ヨーゼフ・ブロイアーだが、ジョセフ・ブラウという音の記述だったか忘れましたが。共著であったはずなのにフロイトだけがなぜ、かくも有名になったのかという面白みを訴えてたんだと思います。ちょうど、精神分析のテーマですしね。それと、刑事コロンボの原作者がやはり、共著ということでとても他人事でなく、日頃から関心があったんではないのかなあって、想像すると一層引かれる部分でした。

もう一つは、犯人とコロンボが診療所近くの公園を歩くシーンです。何人かの素人画家が写生をしているのを、二人して覗き見しながら、会話するんです。犯人は、プロとアマの違いをここで力説していました。自分は精神科医のプロとして誇りも実績もあるわけですからね。この場面があっての、後半のコロンボの言葉がお返しとしての凄みが出たと思うんです。捜査する側はプロであり、犯人は、所詮素人にすぎないというセリフの場面です。

さらに、DVDを見て感じたのは、
「どのようにして犯行を立証するのか?」 という倒叙ミステリーの醍醐味に加えて、この後のシリーズは、
「なぜ、犯人であると疑い始めたか?」 が重みを増してくるような気がしました。
この第一作では、その点はやや弱いですから。
犯人が帰宅したときに、「なぜ妻を呼ばなかったのか」がコロンボの最初の疑問でした。
普通、「ただ今〜」の後には確かに二人住まいなら、そうですものね。でも、これだけで犯人と決め付けるのは少々強引かなと。

本と映像を比べてみると、また面白い発見があるものですね。(2012.12.14追加投稿)

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