2011年07月25日
Amelia Earhart
違うと思うんですが、ラスベガスのシティセンター内で↓を見てアメリアさん(「アメリア 永遠の翼」っていう映画の)を思い出しました。
スミソニアン博物館にもずーっと昔、訪れたことがあるんです。無知には目に入っていても知覚されないのですよ、悲しいことに。そこに展示されていたそうなんですが、アメリアさんをその当時は知りませんでした。
次のような映画コマーシャルや解説が多く見られました。『彼女の人生を支える夫役には、ゴールデングローブ賞に輝くリチャード・ギア。他に、ユアン・マクレガー、ミア・ワシコウスカら、豪華キャストが壮大な物語を彩る…』って???
本当にそうだったでしょうか?世間のおおかたの評価にも違和感を覚えたもんです、私だけでしょうか。
豪華キャストはほんとです。主演のヒラリー・スワンクさんは、堂々のお見事な演技。次第に磨かれて美しく変身していきますものね。
夫の愛は彼女が冒険によって稼ぎ出す富と名声への愛であって、生身の彼女自身への愛ではないでしょう。映画冒頭の二人の会話は、なんとショッキングで皮肉にみちていることでしょう。過酷な真実はかえって笑いを誘います。完璧な嘘じゃないけれども、限りなくでっちあげにちかい、タバコにまつわるエピソードも仰天もの。
商品に手を出す男も男ですが、一年契約の結婚でという苦肉の策でもって夫が集めてくる資金に頼らざるを得ない矛盾。見破られない一流の詐欺師、リチャード・ギアさんはぴったりの配役じゃないですか。女性として初めて大西洋横断を成し遂げ注目され続けていたアメリア・イヤハートですが、サインひとつで雑誌やテレビや本などに虚像が次々と作られ、そのことで浴びる称賛と得られる富を彼女はどう、感じていたんでしょうか。いつも大勢に囲まれいても孤独に囚われていたんではないでしょうか。
どうでもいいわ、はいはい、って様子でね。さらさらとサインするだけで、大金ががっぽり。私的にはなんて!羨ましい。
アメリアさんを紹介するときにフェミニズム運動に寄与したとか……の話は、マユツバかなって勝手に考えています。それこそ、時代が女性を持ち上げるためにやっきとなっていた頃ですからね、マスコミが作りあげてるんじゃないかなって思いました。そこにちょうど、乗っかっただけなんではないかと。だいたいのところ伝記っていうのが、どこまでが真実なのか疑わざるをえませんね。
長時間さいた不倫ととられる映画シーンは、本気の愛でしょうね。監督はそう意図したんじゃないかと私は感じましたが。女の人生は今も昔も難しいのです。
成し遂げた快挙はもちろん壮大な物語ですが、テーマはそこではないでしょう。一番の彼女の偉業は、作られた虚像に自分を当てはめて生きる楽チンさを選ばないで、最後まで飛ぶことにこだわった信念かと思います。そして、意味など問わないんでしょう、飛びたいから飛ぶ、と。普通は流されてしまいますって、それ以上に虚像を守ることに必死になって自由を失くすことに気付きもしないでしょう。本当の自由は並大抵では得られないということを教わりました。
ジョナサン・リビングストンを思い出します。他のカモメにとって飛ぶことは餌をとる手段。でも、ジョナサン・ リビングストン・シーガルにとっては、飛ぶということ自体が人(カモメ?)生、飛ぶ ことを極めるために生きている。意味とか目的より本物の「好き」を知っていて、実践もできる強さがありますね。
インド人女性監督ミーラー・ナイールさん、さすがでございます。ナイールさんがただの英雄伝説を作るわけがないわ。そうそう、女性監督女性監督って、言われ続けて辟易されていることでしょうね、すみません。ちょうどアメリアさんのように。
米国英雄をここまで描いていいのかしらんと心配になりましたが(関係者は怒ってきませんか?)、既にこのキャストを率いる大監督となられているのでしょう。テーマは貫かれておりますからね。アメリアの乗った飛行機の翼にある数字の「1」が私には「I」に見えまして、「NRI(ノン・リターン・インディアン)」を高らかに宣言されたかと深読みした次第です。ドラマティックな安っぽい感動やお涙頂戴の逸話をこの映画で期待される向きには、たくさんのメディアが既に発行しているはずですから、それを当たった方がよろしいかと。よく儲かったことでしょうからね。
ただ、この監督さんの映画暗いのであんまりオススメはしてません。清く正しく美しく明るいインド映画をこよなく愛しているものですから。イーストウッド監督さんと同じく厳しい現実に向き合える、心に余裕のあるときにどうぞ。お子ちゃまには、わからない超辛口ムービーだと思います。
飛行機から眺める映像は素晴らしかったですね。
「人生は、乗客でいるだけじゃつまらないわ」−アメリア
こんなん、言ってみたいセリフ。
スミソニアン博物館にもずーっと昔、訪れたことがあるんです。無知には目に入っていても知覚されないのですよ、悲しいことに。そこに展示されていたそうなんですが、アメリアさんをその当時は知りませんでした。
次のような映画コマーシャルや解説が多く見られました。『彼女の人生を支える夫役には、ゴールデングローブ賞に輝くリチャード・ギア。他に、ユアン・マクレガー、ミア・ワシコウスカら、豪華キャストが壮大な物語を彩る…』って???
本当にそうだったでしょうか?世間のおおかたの評価にも違和感を覚えたもんです、私だけでしょうか。
豪華キャストはほんとです。主演のヒラリー・スワンクさんは、堂々のお見事な演技。次第に磨かれて美しく変身していきますものね。
夫の愛は彼女が冒険によって稼ぎ出す富と名声への愛であって、生身の彼女自身への愛ではないでしょう。映画冒頭の二人の会話は、なんとショッキングで皮肉にみちていることでしょう。過酷な真実はかえって笑いを誘います。完璧な嘘じゃないけれども、限りなくでっちあげにちかい、タバコにまつわるエピソードも仰天もの。
商品に手を出す男も男ですが、一年契約の結婚でという苦肉の策でもって夫が集めてくる資金に頼らざるを得ない矛盾。見破られない一流の詐欺師、リチャード・ギアさんはぴったりの配役じゃないですか。女性として初めて大西洋横断を成し遂げ注目され続けていたアメリア・イヤハートですが、サインひとつで雑誌やテレビや本などに虚像が次々と作られ、そのことで浴びる称賛と得られる富を彼女はどう、感じていたんでしょうか。いつも大勢に囲まれいても孤独に囚われていたんではないでしょうか。
どうでもいいわ、はいはい、って様子でね。さらさらとサインするだけで、大金ががっぽり。私的にはなんて!羨ましい。
アメリアさんを紹介するときにフェミニズム運動に寄与したとか……の話は、マユツバかなって勝手に考えています。それこそ、時代が女性を持ち上げるためにやっきとなっていた頃ですからね、マスコミが作りあげてるんじゃないかなって思いました。そこにちょうど、乗っかっただけなんではないかと。だいたいのところ伝記っていうのが、どこまでが真実なのか疑わざるをえませんね。
長時間さいた不倫ととられる映画シーンは、本気の愛でしょうね。監督はそう意図したんじゃないかと私は感じましたが。女の人生は今も昔も難しいのです。
成し遂げた快挙はもちろん壮大な物語ですが、テーマはそこではないでしょう。一番の彼女の偉業は、作られた虚像に自分を当てはめて生きる楽チンさを選ばないで、最後まで飛ぶことにこだわった信念かと思います。そして、意味など問わないんでしょう、飛びたいから飛ぶ、と。普通は流されてしまいますって、それ以上に虚像を守ることに必死になって自由を失くすことに気付きもしないでしょう。本当の自由は並大抵では得られないということを教わりました。
ジョナサン・リビングストンを思い出します。他のカモメにとって飛ぶことは餌をとる手段。でも、ジョナサン・ リビングストン・シーガルにとっては、飛ぶということ自体が人(カモメ?)生、飛ぶ ことを極めるために生きている。意味とか目的より本物の「好き」を知っていて、実践もできる強さがありますね。
インド人女性監督ミーラー・ナイールさん、さすがでございます。ナイールさんがただの英雄伝説を作るわけがないわ。そうそう、女性監督女性監督って、言われ続けて辟易されていることでしょうね、すみません。ちょうどアメリアさんのように。
米国英雄をここまで描いていいのかしらんと心配になりましたが(関係者は怒ってきませんか?)、既にこのキャストを率いる大監督となられているのでしょう。テーマは貫かれておりますからね。アメリアの乗った飛行機の翼にある数字の「1」が私には「I」に見えまして、「NRI(ノン・リターン・インディアン)」を高らかに宣言されたかと深読みした次第です。ドラマティックな安っぽい感動やお涙頂戴の逸話をこの映画で期待される向きには、たくさんのメディアが既に発行しているはずですから、それを当たった方がよろしいかと。よく儲かったことでしょうからね。
ただ、この監督さんの映画暗いのであんまりオススメはしてません。清く正しく美しく明るいインド映画をこよなく愛しているものですから。イーストウッド監督さんと同じく厳しい現実に向き合える、心に余裕のあるときにどうぞ。お子ちゃまには、わからない超辛口ムービーだと思います。
飛行機から眺める映像は素晴らしかったですね。
「人生は、乗客でいるだけじゃつまらないわ」−アメリア
こんなん、言ってみたいセリフ。