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2011年04月09日

しんまい華道教授・雪華ちゃんの事件簿 その27

はい、こんばんは。     雪華ホーム



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いけばな教室を巡る、悲喜こもごもを会話形式のお話にして綴っていこうというカテゴリをつくりました。どれだけ続けられるかわかりませんが。

これは、フィクションであり、登場人物や環境も全て架空のものです。が、当たらずといえでも、遠からじの逸話もありますので、ご自由に想像してくださいませ。

いけばなをとりまく環境はずいぶん時代とともに変わっています。私は今二つのパターンで、誤解や間違ったイメージにとらわれているんではないかと感じています。私たち世代は、お嫁入り前にお茶やお花を習っているのが当たり前な時代のたぶん、最後の世代だと思います。それ以降生まれの方たちにとっては、まったく未知の世界であるという方がけっこう多いですね。いけばなに対する反応を耳にして、こちらも驚くことが多いですし、いけばなをやっていない方たちとの間のギャップをものすごく感じます。周知のものと勝手に解釈していて、説明することを怠っていたりすることもひとつの要因かと思います。それを少しでも身近なものにできたらいいなあと試みました。そしてもうひとつのパターンです。それは、結婚する前にちょっと嗜んでいたわ、という方々にとってです。いけばなの表現方法は、古典芸能の側面もありますので、こちらの基本的な概念は、そうは変わりません。が、自由な発想を元とする芸術的な面は、相当変化しているはずです。不易と流行はともに必要なことですから、時代とともに進化していくいけばなもまたすばらしいものです。ここを、かつてのものと、リセットしていただく必要があるように感じています。

それらの思いをこめて、楽しいお話にできればいいのですが、・・・小説家でもなんでもありませんから、拙いものになりますが、ぜひ読んでみてください。
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<嘘>のつづき

 みどりは最近、料理教室に通うようになった。実家の母親もこのニュースには大喜びだった。今まで、病院には食堂があるし、寮に帰っても疲れて料理なんか全くしようとしなかったからだ。外食もできるし、コンビ二の弁当もあるし、料理を作らなくっても困ることはないのだ。女の子らしいことを何ひとつしない娘を母親は、早く結婚してまともな人生を歩んでほしいものだと折に触れて小言を言う。これで文句のひとつは収まるなとみどりは思ったが、小言の種というものはつきることが無いらしい。

 廃校になった小学校をレストランに改造して近頃話題になっている。低農薬の野菜が売り文句であり、地産地消の流行にのって新鮮な魚介類もおいしいと評判だった。そこの理科室だったところを料理教室にして、昔ながらの郷土料理を復活させようと、定期的に教えてくれる講習が始まったのだ。

 勤め先の病院の前のバス停から40分ほど離れたところにある。少し遠くて最初はためらったがその距離が、やがて仕事でのイライラを癒すのに都合がいいことに気付いた。

 みどりは間違った行為や、意味のない社交辞令が大嫌いだ。どうしてこんなに、わけのわからない人間ばかりが多いのかほんとうに嘆かわしい。テレビを見ても新聞を見ても腹だたしいことばかりではないか。そのたびに自分を正当化することにも慣れた。経過が大事なのであって、勝ち負けじゃないなどとよく言う輩がいるが、それは負け犬の遠吠えとしか考えられない。経過がすばらしいから、結果は自ずとついてくるのではないだろうか。

 職場の同僚とは親密にはなれないと思っている。馴れ馴れしく群れ合うために仕事をしているわけじゃない。うまくつきあうためにいろいろ悩むよりも、突き放して一人でいるほうがよっぽど安らぐと思う。

 大型スーパーのまわりに、ホームセンターやファミリーレストランが密集している停留所を過ぎると、道路脇は田園地帯が広がる。秋になれば、新米が収穫され実家から届くだろう。変わりない四季に、人間は追いまくられ、やがてついていけなくなるのだ。人の命はなんてあっけないのだろう。

 ときおり見かけるおしゃれな外観の建物はだいたい美容院だ。山の中でも海辺の小さな集落でも、必ず一軒はある。勤務先が近いものだから、車を運転することもなくなり、だいぶ前に処分した。バスはいい、ぼーっとしていても目的地に運んでくれるのだから。見飽きた景色がどんどん後ろに遠ざかっていくのが快感だ。みんな、消えてなくなればいいとも思う。

 ときどきバスは母親が赤ん坊を揺らすように、みどりの心をなだめてくれる。あのときは、余計なことを智子に言ってしまったと思い出すたびに後悔する。あれは、智子が亡くなる一週間くらい前のことだった。

 「智子、伊藤さんにはっきりしてもらったほうがいいと思うのよ。私は奥さんが東京にいるって睨んでる。早めに確かめないと私の二の舞になるから。智子と伊藤さんが付き合う前の話だからね、私達が喫茶店でお茶をしていたときに、携帯電話が鳴ったことがあったの。『ここを出るなんて言わないでくれ、両親には私が説得してあるし、できればこのまま一緒に暮らしたいと言ってるんだ。孫だってかわいいわけだし。伊藤家の孫だから』って、話してるのを聞いたのよ。それに『私の気持ちをわかっているはずなのに』とかなんとか切羽詰まったようなことを訴えてた。何のことかわかる?」

 ナースステーションで、時間がぽっかりと空いた時だった。珍しいことで、今のうちにとみどりは散らかった書類をファイルしていた。そして、智子の顔をちらりと見た。

 智子は黙って首をふった。それから、弱弱しくつぶやいた。

 「何かの間違いだと思います。そんなことが本当だったら、私にはわかるから。あんまり話したがらないことを問い詰めることはしたくないし」

 発した言葉とは裏腹に一番不安に思っていたのは智子だっただろう。その不安な表情に(ほら、ごらんなさいよ。何か思いあたる節があるんだわ)という思いがあのときによぎったのも事実だ。みどりは、智子を本当に心配してその話題を持ち込んだのか、という自信は無い。根も葉もない嘘を言ったつもりは毛頭ない。が、後ろめたい思いでいっぱいになった。

 智子の死以来、佐々木先生と話をすることが増えた。研修医としてこの病院にやってきて勤務がまだ浅いものだから、先入観がないというのは有難いことで、みどりには気が楽だった。看護師の立場として役立つ情報を伝えることもできるので、感謝されているような気もしている。最近の職場で楽しいことといえば、それくらいかなと思う。

 
 バスの乗客は前から二番目の運転席側に座るみどりと、一番前の運転席とは反対側の席に中年のふっくらとした女性と、みどりの後ろの座席に確かがっちりとした体格のおじいさんが乗っていた。夜勤明けの疲れがあるものの、おいしいものを作って食べてから、自宅に戻ってゆっくり寝ようという予定だ。

 いつもただ通り過ぎるだけのバス停のひとつにバスは止まった。今日のメニューは何だったかなと、みどりは講習案内パンフレットをショルダーバックから出した。ホッキ飯と野菜たっぷりの味噌汁、デザートはグレープフルーツのはちみつ漬け、とある。お米もホッキ貝もはちみつももちろん新鮮野菜も福島の特産品だ。ホッキ飯は福島浜通りの名物なのだが、ホッキと呼ばれる貝をそのまま炊き込むものと、甘辛く煮て、混ぜるタイプがあるのだそうだ。母親の作るものは、熱々ごはんに混ぜ込んでいたと思うが、今日のはどっちだろうかと楽しみだ。もともとは料理は得意ではないが、趣味と実益を兼ねてこれはいいものを見つけたと今は思っている。よだれをこらえていると、やけに停車時間が長いことにおやっとパンフレットから顔を上げた。

 窓の外の歩道を見るとバス停を示す丸い看板のついたポールと、その隣にひとつある青いベンチには誰もいない。一番前に座っている女性がバスの後ろをじっと見つめているので、みどりも大きく後ろを振り返った。そのとき後ろのおじいさんも振り返っているのが見えた。歩道に80歳前後のおばあちゃんが、買い物カート兼杖の代わりにもなる優れものを押しながら、ゆっくりとバス停に向かっていた。街中ではあまり腰の曲がったお年寄りを見かけなくなったように思うのだが、そのおばあちゃんは遠目からもおじぎしているように見えた。歩みはとっても遅くて、じれったかった。

 後ろのおじいさんに前のおばさんに運転手さんの3人がじっとそのおばあちゃんに釘付けだったものだから、みどりもなぜか元の姿勢にもどれずに一緒になって見つめていた。

 おばあちゃんの歩みは相変わらず遅い。そして、ようやくバスの乗降口付近にまでこぎつけた。かに見えた。が、次の瞬間おばあちゃんはそこを通り過ぎたのだ。みどり達の存在などまるで眼中になく、マイペースな歩みのまま、とうとうバスを追い越した。バスに乗ろうとしているのではないことが、全員の目に明らかになった。三人はほぼ同時にクスクスと声を出した。

 運転手さんは立ち上がり、中央の平らなところに足場を確保して乗客に向き直り深々とお辞儀をした。

 「お待たせして、申し訳ありませんでした」
と、謝ったときに前のおばさんが、バス中に聞こえる大きな声で言った。

 「いいのよ、いいのよ。運転手さん親切だわ、何だかしらないけどありがとう」

 運転手さんも、もう一度会釈して運転を始めた。次の駅で後ろのおじいさんが降りた。そのときに「ありがとさん」って声をかけて去った。

 そのまた次の駅でみどりが降りた。いつもなら言わないのに、今日はバスを降りるときに、運転手さんに「ありがとう」って運転手さんを見た。色白で、きゃしゃな若い男性だった。

 おばあちゃんはあれからどこへ向かったんだろう、あのゆっくりとした歩みのまま。バスはおばあちゃんを待っていたんだよ、ってことなど伝わるはずもない。伝えたところで何のたしにもならない。乗客たちは、さほど先を急いではいなかったのだろう。誰もあわててはいなかった様子だった。待たされることにみどりは初め、いらっとしたが講習までにはまだ時間があったのだ。たとえ、迫っていたとしてもたかだか1,2分の出来事だ。

 バスを降りてからも結果的には誰のためにもなっていない運転手さんの行為を親切と言えるのかどうか、みどりはしばらく考えていた。バスの乗客たちの態度が親切なのかなとも思った。が、とにかくバスの中の全部の空気が気持良かった。そうしたのは、運転手さんの優しい気持ちと、それを見守る余裕のある乗客の優しい気持ちも運転手さんに共感したせいだった。決して時間の余裕じゃない、心の余裕だ。

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