春の息吹を探そう新婚旅行でクライストチャーチを訪れたんですけど

2011年02月17日

しんまい華道教授・雪華ちゃんの事件簿 その24

はい、こんにちは。     雪華ホーム

  

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いけばな教室を巡る、悲喜こもごもを会話形式のお話にして綴っていこうというカテゴリをつくりました。どれだけ続けられるかわかりませんが。

これは、フィクションであり、登場人物や環境も全て架空のものです。が、当たらずといえでも、遠からじの逸話もありますので、ご自由に想像してくださいませ。

いけばなをとりまく環境はずいぶん時代とともに変わっています。私は今二つのパターンで、誤解や間違ったイメージにとらわれているんではないかと感じています。私たち世代は、お嫁入り前にお茶やお花を習っているのが当たり前な時代のたぶん、最後の世代だと思います。それ以降生まれの方たちにとっては、まったく未知の世界であるという方がけっこう多いですね。いけばなに対する反応を耳にして、こちらも驚くことが多いですし、いけばなをやっていない方たちとの間のギャップをものすごく感じます。周知のものと勝手に解釈していて、説明することを怠っていたりすることもひとつの要因かと思います。それを少しでも身近なものにできたらいいなあと試みました。そしてもうひとつのパターンです。それは、結婚する前にちょっと嗜んでいたわ、という方々にとってです。いけばなの表現方法は、古典芸能の側面もありますので、こちらの基本的な概念は、そうは変わりません。が、自由な発想を元とする芸術的な面は、相当変化しているはずです。不易と流行はともに必要なことですから、時代とともに進化していくいけばなもまたすばらしいものです。ここを、かつてのものと、リセットしていただく必要があるように感じています。

それらの思いをこめて、楽しいお話にできればいいのですが、・・・小説家でもなんでもありませんから、拙いものになりますが、ぜひ読んでみてください。
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<イベント>のつづき

 夕刻、雪華ちゃんは、明日のミニ花展用に持っていく道具類や花材の最終チェックをしていた。実家に帰るとご飯の支度をしなくって済むものだから、極楽だ。仙台の家は放りっぱなしだから、いけばなに全力投入できる。

 もっかの一番の悩みは、秋明菊が開花するかが心配だ。何輪かは明らかに開きかけのつぼみのものを用意できた。明日には開いてくれることを期待している。二日目はそれよりは少し硬いつぼみのものが、うまく間に合うだろうか。一日目のものが元気なままでいるだろうか。ほんとに硬い蕾だと咲かないで終わるものもある。生のものだから、うまく人間の都合にあわせてくれるかどうかはわからない。不安になるから、予備をついつい多めに買ってしまう。実物は全く安心だし、他の花材は色にこだわらなければ手に入りやすいので、やや安心だ。

 花展が始まる前の花材はそれはそれは手間隙をかけて大事に運ばれて、立派な会場で人々を魅了するのだ。でもその数よりもっとたくさんの花材が会場の予備置き場で、ほとんどは出番もなくバケツの中で開花していたり枯れたりしている。光と影はどこにも存在する。光と影は実は一枚のコインの表裏なのであって、どちらも欠かせない。

 予備やそもそも余裕や余白というものは、万事うまく運んでいるときには無駄なものだろう。順風満帆な事柄に必要ではないのだ。でも、現実にはアクシデントはつきものである。ぱんぱんに伸びきった糸はもろいから、少々のたるみが必要だ。遊びという言葉を使うのもよく当てはまっている。合理性はすばらしい考え方だが、つまづいたときに、やっと気付くことになる。

 雪華ちゃんは、いけばなは生きてる花を切り刻んで、もったいないし、エコじゃないというような批判をときどき耳にする。言いえてる意見のようにも思えるし、味気ない考え方のようにも思える。人は合理性だけで生きているわけではないのだから。ただ、エコな活動をしていますよというエクスキューズをしなくてはならないような、罪悪感も持つべきだとも考えている。生きてる牛や豚や植物を食べて生きなくてはならない人間だから、それと同様だと思っている。単なる飾りとしてではなく、花たちに命をもらって生きる生き物が人間だけであるから。

 先生に言われた通り、花器を目にする所において、生の花を除いた状態で、頭の中の出来上がり想定作品を思い浮かべてきた。毎日ながめながら異質素材の部分をいじくりまわしたりもしてみた。そして、今度はもう少し色を濃くしようと、絵の具の量を追加し始めたところである。

 夕食の準備ができたことを知らせに二階に上がってきた母親が、
「その色はずいぶんきつい色」
などと口をはさんでくる。雪華ちゃんは、素人の意見など聞いていないんだからと、ご機嫌ななめである。
「もうちょっと、きれいな色をぬれば」
と、まだ言っている。

 その瞬間、携帯電話が鳴ったのであわてて、濃い紫色の絵の具がべっとりとついた筆を畳の上に落とした。

「雪華センセ、たいへんよ。伊藤さんが自殺して亡くなってたんですって」

「ああ、丸山さん、知ってるよ亡くなったのは。それより、わかんない」

「やっぱり、自責の念かしら?」

「色がよ。色のこと、決まらないの」

「は?」
と、丸山さんは要領を得ない雪華ちゃんに呆れている。

「それより、明日生徒たちみんなで東京に行きますから」

「えー?嘘でしょう。あのね、そんな大きな花展でもないからって。お金もかかるし、来なくっていいのにって言ったでしょうが」

「ふふふ。必殺技があったの。仰天するわよ。伊藤さんの件なんで知ってるの?腹が立つから、こっちも教えてあげない。とにかく、午後には会場に着くからみんなでお食事をしましょう。お店は予約しといたから、お昼を食べないで待っててね」
と、丸山さんは例の早口でまくしたてて、じゃあ、なんてさっさと電話を切ってしまった。


 御茶ノ水駅界隈でも、土曜日の朝の8時前だと人気が少ない。タクシーが何台も待機している。交差点にある交番のおまわりさんが、外に出て軽く体操をしている。荷物が多いので、晴れて助かったと雪華ちゃんは重いカートをひきずっていた。

 向かっているのは、研究会に所属している会員のうちの、青年部というグループの花展会場である。そのビルは東京だけではなくって、関東甲信越あたりまでの支部の勉強会などに使われるし、専門学校でもある。比較的新しくて、場所も便利な所にある。ただ古いビルはここよりも更に駅に近くて広かった。きれいになったのでよしとするより仕方がない。構造上もやむをえなかったのかもしれないが、入り口からいきなり階段が数段ある。見た目にはいいデザインなのかもしれない。が、ここにも欠点がある。たいがい難民のようにいけばな関係者は重い荷物を持ってることが多いのだ。この階段はあまりにも苦行である。これも修行のひとつか。スロープらしきものが横にあるが、ものすごい急角度の代物だ。あれを使用するには、階段で荷物をかついで持ち上げるよりももっと力が必要に思える。不思議のエントランスだと噂している。

 一階のロビーがその会場となる。そんなに広くはないけれども、30瓶ほどだと充分に展示できるし、明るくて開放的なスペースだ。今日は使わないが、続きの部屋は畳敷きになっている。ロビーに普段はグランドピアノがある。いつ使うのかは誰も知らない。それを端っこに移動したようで、中央に、イスを並べて花展用に既にセッティングしてある。ゆっくりと鑑賞したり歓談したりもできる。大きな花展会場では、茶席が設けられることもあるが、なかなかこのようなゆったりとした空間はない。宣伝も行き届かないから、そんなに大勢でごったががえすこともないので、考えようによっては静かに鑑賞できる。小さい花展には小さい花展なりの良さがある、鑑賞者にはそれぞれの良さを楽しんでもらえればよいと、雪華ちゃんは思っている。

 もう数人が集まっていて、合同作品を作っていた。皆、晴れやかな顔をしている。こうゆう場にはいい空気が漂っているものだ。製作し始めると、その顔が一気に引き締まっていく。少しでも良いものを、少しでも美しくしたいとの思いはベテランも若者も同じだ。

 普通の花展と違って、午前中は製作をしていてもよく、時間にゆとりがある。途中で、午前の部の研究会に出席する者もいる。かなり自由だ。展示時間は一時から五時までで、明日の日曜日は9時から4時で終了して、片付ける。他の支部の青年部会員がお互いに、行き合ったりするぐらいで、部外者がたくさん出入りすることはない。せいぜい、親やごく親しい知り合いが見にくる程度だ。

 入り口の合同作品を手伝った。みんなでワイワイやるのも時には楽しいものだと雪華ちゃんも積極的にかかわる。幹部の先生が何人も見に来てくれて誉めてくれたり、こうすればと、指導をしてくれる。一度は、さっきの先生と反対のことを別の先生に注意されたりして、影でお互いに顔を見合わせてくすっと笑ったりする。最後に支部長先生にOKをもらって、完成となった。青年部全員で、受付や、花の水射し担当などを交代で受け持つ。いつもの研究会でのお勉強のときよりも、皆洋服はちょとだけあらたまったスーツやワンピース姿だ。小さくても花展の晴れの舞台だから。生け上がったら、全員で記念写真も撮る。会場全体をざっとみまわしてみる。半分くらいは既に生け込みを終了していて、がらんとした会場だったのが初秋の優しい風に包まれてきた。

 雪華ちゃんも自分の作品にとりかかった。もう、頭の中で決めているので手は早い。別に時間が迫ってるわけではないのになぜかあせる。いつもあせっているのは緊張のせいだろうか。

 花を生けているときはいつもと時間の流れが違うように感じる。そろそろ出来上がりかなとハサミを置いて、後ろに下がって全体像を見る。先生がいつのまにか後ろに立っていて、

「もう少し、色を重ねて奥行きを出そうね」
と、腕をまくって作品の前に陣取った。

「いいわよ」
という言葉に反して、先生の手が入る。中心に淡いピンクのトルコぎきょうを加えて、かなり前に突き出した。紫の濃いトルコぎきょうと、淡いピンクのものが3輪ほどになり、華やかになった。ロール状になった異質素材はかなり濃い赤紫となってバックを引き締めたところに、まだ緑色のさんきらいの実がこぼれるばかりに生けられ、この緑とライムポトスの明るい緑が爽やかに映っている、この辺りはそのままにして最後は選りすぐりの秋明菊がもう一輪入った。先生の手でさらに、輝きが増したようだった。まだ暑さの残る9月だけれども、秋の気配を漂わせる作品に変身したような気がした。

「やっぱり、違うなあ」
とため息の雪華ちゃんである。

「ちょっとぐらい違わなきゃあ、私の存在してる立場がないじゃない?良かったわ。いいのができあがった。あの異質素材の色がどんなものかしらって最初見たとき、正直心配だったんだけど……いいわよ。これくらい強くても、生の花が入って作品になってみると下品にはなってない。いい色に塗ったわ、バックの色が秋明菊をひきたてていて驚いた、きれいよ。席札、ちゃんと持ってきたわね?」
と、先生も満足げな様子である。

 席札というのは、絵のサインのようなものだと雪華ちゃんは思っている。完成しましたっていう証であって、本人の名前や雅号、それに支部名、もちろん流派の名前、どのレベルのお稽古に励んでいるかを示すシールが貼られてあったりもする。そのかまぼこ板ぐらいの名札の余白には、目には見えないけれども、映画のエンドロールのように、一番に親先生の名前はもちろん、いろいろアドバイスをくれた仲間の名前も、素人の意見をおしつける母親の名前なんかも、ほんとはここに記されているのだと思う。それから、自宅を留守にしながら、快く送り出してくれている、夫であるたけちゃんの名もあるはずだ。雪華ちゃんの教室で逆に教わっているぐらいである生徒さん達の名前もあるだろう。いろんな方が背後に支えてくれての、この作品なのだ。それらの方たちに恥ずかしくないものができたら、良いのだけれども、と思いながら大きなバッグから雪華ちゃんは席札を取り出し作品の脇にそっと置く。

 やれやれ、できたなっと安堵したとき先生と雪華ちゃんの後ろに見知らぬ一人の女性が立っていたことに気付いた。

「素敵ですねー写真を撮らせてもらっていいですか?展覧時間より早く来てしまったんですけど」
赤いバックからケータイを取り出した。

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