2011年01月14日
しんまい華道教授・雪華ちゃんの事件簿 その22
*****
いけばな教室を巡る、悲喜こもごもを会話形式のお話にして綴っていこうというカテゴリをつくりました。どれだけ続けられるかわかりませんが。
これは、フィクションであり、登場人物や環境も全て架空のものです。が、当たらずといえでも、遠からじの逸話もありますので、ご自由に想像してくださいませ。
いけばなをとりまく環境はずいぶん時代とともに変わっています。私は今二つのパターンで、誤解や間違ったイメージにとらわれているんではないかと感じています。私たち世代は、お嫁入り前にお茶やお花を習っているのが当たり前な時代のたぶん、最後の世代だと思います。それ以降生まれの方たちにとっては、まったく未知の世界であるという方がけっこう多いですね。いけばなに対する反応を耳にして、こちらも驚くことが多いですし、いけばなをやっていない方たちとの間のギャップをものすごく感じます。周知のものと勝手に解釈していて、説明することを怠っていたりすることもひとつの要因かと思います。それを少しでも身近なものにできたらいいなあと試みました。そしてもうひとつのパターンです。それは、結婚する前にちょっと嗜んでいたわ、という方々にとってです。いけばなの表現方法は、古典芸能の側面もありますので、こちらの基本的な概念は、そうは変わりません。が、自由な発想を元とする芸術的な面は、相当変化しているはずです。不易と流行はともに必要なことですから、時代とともに進化していくいけばなもまたすばらしいものです。ここを、かつてのものと、リセットしていただく必要があるように感じています。
それらの思いをこめて、楽しいお話にできればいいのですが、・・・小説家でもなんでもありませんから、拙いものになりますが、ぜひ読んでみてください。
*****
<イベント>のつづき
雪華ちゃんは、東京にもどり親先生宅でのお稽古に向かっている。地下鉄で二駅離れたところにあり、独身のときは車で通っていた。それは、処分してしまったので、今は車輪がガラガラと大きな音をたてるお買い物用かごがマイカーになっている。いけばなの道具類はけっこう重いのだ。
この同じ地下鉄沿線に伊藤さんの実家もあるので、お稽古が終わってから寄ってみようと考えている。ついに安楽イス探偵が立ち上がるのだと、一人悦に入っている。
先生宅は二ヶ月ぶりである。仙台から東京までの交通費はばかにならないから、そんなにしょっちゅうは来ることができない。でも辞めたくはない。
雪華ちゃんは封筒を大事にバックにしまってきた。生徒さんたちからもらった初お月謝の入った封筒を、先生に渡すのも今回の目的のひとつだった。お金は失礼かなあとも考えたが、子供が初任給を一人前にしてくれた親に渡すのと同じようなものだから、きっと喜んでくれるのではないかと思った。
支部の組織の中に、研究会というものがある。月に一度会員が集まって試験のようなものをして腕だめしをするのだ。普段のお稽古で学んだいけばなを生けて、採点してもらうのはとてもいい勉強だ。でも、いい点がつけば有頂天になれるが、悪い点がつくと、休みの日に朝早くから来て何がために暗い気持ちにならなくてはならないものかと落ち込むことになる。そんなことを一年続けると、皆勤賞やら成績優秀賞やらのご褒美が出る。年の初めの一月はたいていどこの支部もそういう授賞式をやるところが多い。
雪華ちゃんはいけばなだけの問題だけではなくって、だいたいにおいてできが悪いのだ。おっちょこちょいというか、思慮の無さが目立つ。会得するのに人よりも時間が倍はかかる。失敗のレパートリーが豊富だ。これが、怪我の巧妙で人に教えるときには役立ったりすることもある。そんなミスもあるもんだと感心されることがあるぐらいだから。えらい弟子をもってしまったものだと、親先生にはずいぶん迷惑をかけていることぐらいはわかっている。
そんな雪華ちゃんも、一度ならず賞をもらったことがある。支部の生徒たちは研究会の会場となるホールに並べられた折りたたみイスに、壇上に向かってずらっと並んで座っている。多いときには何百人もいた。それぞれ、仲良しどうしに好き勝手な所に座っている。着いた時間の早い遅いで、前の方だったり後ろの方だったりする。幹部の先生たちは、つまり研究会で採点をする側の先生たちは、生徒たちの一番後ろに授業参観の父兄のごとく並んで立っている。こちらも何十人もいる。賞に入った人の名前が呼ばれ、雪華ちゃんも入っていると誇らしい気もちになる。やってきて良かったなと思う。それから、振り返って親先生を探すのだ。どこだ、どこだと見つけると先生はいつも決まって雪華ちゃんの座ってる場所を知っていて、まっすぐに微笑んでうんうんとうなづいてくれているのだ。いつも見てるよ、あなたの後ろにいるよと、体で表現してくれた。だから雪華ちゃんの喜びは、先生の喜びであると単純に信じることができた。
「えー!いいのう?もらっても。うれしいわあ。こうやってあなたが教えることができるようになってくれたのが何よりうれしいことなのにねえ。こんなのまで頂いて」
封筒をおでこの高さに持ち上げて、一礼して先生はゆっくりと受け取る。それから、台所の方へ向かって、お茶を手にしてもどって来た。
「はーっ、全く先生からの受け売りを、生徒さんに伝えてるだけですから。私は伝書鳩?でも、楽しいです」
「良かったわあ。まあ、お茶でも飲んで。青年部の花展用の花を適当にみつくろっておいたから、今日は試作するからね。前にファックスで送って頂いた構想図は、これ。場所がけっこう広いのよ。中作の自由花。それから、このガラスの花器は作家もので一点ものなのよ。あなたの開業祝いに差し上げるわね。今回の花展用にぴったりだと思うから使ってちょうだい」
それは、最初から机の上に鎮座していた。ガラス器で、ブルーと紫がかったグラデーションが綺麗な色で一目で気に入った。形は細長くて真ん中の胴体部が丸く膨らんでいる。雪華ちゃんはまじまじと見つめて悲鳴をあげる(もらえるんだ)。
「センスがいいのはもちろんですが。これ、高そう……」
さっきの、初お月謝の合計額ではきっと足りないだろうなあと胸算用してみる。いいものを見る目はいいものをたくさん見ること以外には養えない。きっと最初は与えられるものから少しづつ判断していけるようになるのだろう。
「ありがとうございます」
という言葉しか見つからない雪華ちゃんだ。
今度の花展は、支部の中の青年部という集まりの中での発表会だ。大きい花展の順に家元での本部展、各地域ごとに開催する地方展、支部単位の支部展、その中の青年部展など、それから、それぞれの先生とその教室の生徒達で発表する社中展などがある。今回は関東地区で研究会などに利用する、施設がありその一階ロビーを花展会場として使うことになっている。普段は、専門学校としての建物だ。
「こんなような異質素材を使うと、美しくて、留めを兼ねられるから機能的でもあるでしょう?この花器の口は小さいから実物だと、あまり水を気にしないでもランフォルダーなんかをつけておけば、二日の展示期間は問題無いわ」
と、その網状になった針金に紙か布が巻いてあるものを曲げたり伸ばしたりして先生は雪華ちゃんに見せた。
それを筒状にひねって丸めれば、ドレープが出て面白い造形になるなあと思った。花だけではなく、実物やドライ物、植物ではない、いろんなものがいけばなには使われる。こんな素材を見たことがないというものを先生は見つけてくる。たくさん、他の花展を見て目を肥やすことが重要なのだそうだ。それをそっくりそのまま拝借すれば盗作だけれども、そこに本人の好みを加えてまた新たな感動を付け加えることができれば立派な創作だ。真似ることは、学ぶことの基本よと、よく聞かされる。そのときは全身全霊で真似なきゃ、中途半端はよくないそうである。まだ何も判断できない未熟なうちから、あれが好きこれが嫌だと御託を並べることは容易い。素人が陥りやすい誘惑だけれども、真っ白な気持ちで取り入れることが何よりも重要なのだそうである。自分流のアレンジを加えるのは、そのもっともっと後からの話ということだろう。
「これには色をつけられますね……」
雪華ちゃんは、紫系の色を重ねるといいんではないかなあと頭の中で絵の具を塗ってみる。
「そうよ、土曜日まで、二日あるからどんな色が合うかいろいろ実験してみなさい。頭だけで考えるのと、実際にやってみるのとではやはり違うから。それといつも身近に置いてそれを見ていればアイデアも浮かぶでしょうし。ご実家のお母様はお元気?喜んでらっしゃるわね」
「……はい。上げ膳据え膳の極楽待遇。たぶんしばらく」
と答えつつも、雪華ちゃんの頭の中はいけばな作品の全体像を急速に展開中だ。紫色も赤っぽいのや青っぽいものを複雑にからませよう。それをバックにまだ青い実物と可憐な秋の花を競演させるんだ、なんて素敵だろう!と自画自賛している。
「そのうちに親子喧嘩が始まるんでしょ」
「……そんなとこです。秋明菊を使いたいと思ったので、駅前の花屋さんには注文を出してきたんです。花材は決まっているので、どうやってより花の美しさを生かせるか演出を考えてみます」
「ああ、いいわね。白い花を効かせるためには周りは深い色にしたらいいかも」
そうか、深みのある黒っぽい紫も入れなきゃな。頭の中のキャンバスは相当塗りこめられてきた。相変わらずガラス器独特の輝きに雪華ちゃんの目は吸い込まれている。
「生けこみの朝はいいかげんに早く来てよ。私、心配でしょうがないんだから」
はっと、ガラス器から先生の顔を見た。だいたい、ぎりぎりに駆け込む雪華ちゃんは、(あ痛い!)と頭をかく。先生は笑っている。以前花展の折に着物を着て受付をしたことがあった。その日は雨降りで、当日の朝になってから急遽雨ゴートを引っ張り出したり、ぞうりカバーを必死で探したりして、家を出る予定にしていた時間より少し遅れた。遅れはしたが、先生たちとの待ち合わせの時間には間に合っていて花展会場であるデパートの入り口にすべりこんで、エレベーターホールに向かった。会場はいつも8階の催し専門の階だ。するとそこに、先生が青い顔で一階まで降りて雪華ちゃんの到着を首を長くして待っていたのだ。来ない場合はどうしたものかと悩んでいたそうだ。出品作品だったらね、代わりに生けておいてあげることは造作もないことだけれど、着物着た若い人じゃなきゃあ、私が代わりに受付けに立ってると変でしょう!と言ってあの時も先生は笑っていたものだ。先輩たちには、先生達は気がせくんだから、待ち合わせ時間のちょうどに現れてはいけないのよ、それよりも前に着いてないとダメよと、言われていたことを後から思い出した。もっと年配の先生から、あなたのところの弟子はほんとに来るのかしらと、せっつかれていて、親先生はいたたまれなくなっていたそうだった。みんな年のせいだよね、急いだって先は死ぬしかないのになあ、なんてあのときは悪態をついていた雪華ちゃんだったが。
早め早めの準備がなかなかできない雪華ちゃんだ。そういえば、海外旅行の団体待ち合わせがすごく早い時間なのは、万が一パスポートを忘れたお客さんでも取りに帰ることができるぎりぎりの時間に設定されているらしいと聞いたことがある。
「大丈夫、お任せあれ〜」
と雪華ちゃんはふざけつつ、この先生に出会えて本当に良かったと思うのだ。
親先生のそのまた先生もかつていた。先生と弟子のこんな出会いが550年の歳月を紡いできたのだと思うと切なくなる。お稽古の後、お茶を飲み、お菓子をほうばりながら、先生と世間話をすることも楽しみだ。親先生の先生は晩年、認知症がひどくなったそうだ。ある時などは、まだ新しく入った生徒の真になる枝が水盤に立てられたのを見て、
「ちょっと高いわね」
と言ったが早いか、花鋏でパチンとその枝は3分の1ぐらいの高さに短くなってしまったそうだ。尋常ではない短さなので、いくら初心者でもちょっと、おかしいのではないかと気付いたらしい。それには、他の生徒も皆表情が凍ってしまって、親先生は困ったそうだ。親先生とその同期の先生が二人して、高齢になった先生の名目は助手をしながらほんとのところは、お月謝を支払いながら、ちゃんと指導を代わりされていたのだ。その日までは、先生の体の具合を知られないように、カバーしていたのだそうだ。今の時代にそこまで支えることができる者はいるのだろうかと疑わしくなる。師弟の深いつながりは、調子のいいときだけのものでないことも知った。
「華やかな、垢抜けた花を生ける方だったのよ」
と、先生は懐かしそうに語った。
でも、そのあとしきりに「自分もぼけちゃったらどうしようかしら、子供もいないし、早く引退しなきゃね。まわりに迷惑かけられないしね」と雪華ちゃんに話した。60代半ばの年齢にはおよそ見えない、肌のいろつやだし、ピンク色が大好きでおしゃれな先生なので想像もつかないことだった。
「若いですよ。同年代の方を見回しても」
と、問題を先送りするずるい面も雪華ちゃんにはある。ずっと傍にいて、面倒をみることが自分にできないに違いないと思うと、なんて答えればいいのか言葉につまる。迷惑をうんとかければいいんですよ、まわりにいっぱい、と雪華ちゃんは思っていたのだが。誰でも老いるわけで、それが順番にまわってくることなんだからと正論として言いたかったけれど、やっぱり言えなかった。親先生がほんとに年老いる頃には、なんとか一人立ちして、先生を支えることができる人間になるまで、もう少し猶予をください、そしてたった今、感じている自分の身勝手さ、恩知らずの体たらくをどうか忘れることのない人間でいられますようにと雪華ちゃんは胸に刻んだ。
いけばな教室を巡る、悲喜こもごもを会話形式のお話にして綴っていこうというカテゴリをつくりました。どれだけ続けられるかわかりませんが。
これは、フィクションであり、登場人物や環境も全て架空のものです。が、当たらずといえでも、遠からじの逸話もありますので、ご自由に想像してくださいませ。
いけばなをとりまく環境はずいぶん時代とともに変わっています。私は今二つのパターンで、誤解や間違ったイメージにとらわれているんではないかと感じています。私たち世代は、お嫁入り前にお茶やお花を習っているのが当たり前な時代のたぶん、最後の世代だと思います。それ以降生まれの方たちにとっては、まったく未知の世界であるという方がけっこう多いですね。いけばなに対する反応を耳にして、こちらも驚くことが多いですし、いけばなをやっていない方たちとの間のギャップをものすごく感じます。周知のものと勝手に解釈していて、説明することを怠っていたりすることもひとつの要因かと思います。それを少しでも身近なものにできたらいいなあと試みました。そしてもうひとつのパターンです。それは、結婚する前にちょっと嗜んでいたわ、という方々にとってです。いけばなの表現方法は、古典芸能の側面もありますので、こちらの基本的な概念は、そうは変わりません。が、自由な発想を元とする芸術的な面は、相当変化しているはずです。不易と流行はともに必要なことですから、時代とともに進化していくいけばなもまたすばらしいものです。ここを、かつてのものと、リセットしていただく必要があるように感じています。
それらの思いをこめて、楽しいお話にできればいいのですが、・・・小説家でもなんでもありませんから、拙いものになりますが、ぜひ読んでみてください。
*****
<イベント>のつづき
雪華ちゃんは、東京にもどり親先生宅でのお稽古に向かっている。地下鉄で二駅離れたところにあり、独身のときは車で通っていた。それは、処分してしまったので、今は車輪がガラガラと大きな音をたてるお買い物用かごがマイカーになっている。いけばなの道具類はけっこう重いのだ。
この同じ地下鉄沿線に伊藤さんの実家もあるので、お稽古が終わってから寄ってみようと考えている。ついに安楽イス探偵が立ち上がるのだと、一人悦に入っている。
先生宅は二ヶ月ぶりである。仙台から東京までの交通費はばかにならないから、そんなにしょっちゅうは来ることができない。でも辞めたくはない。
雪華ちゃんは封筒を大事にバックにしまってきた。生徒さんたちからもらった初お月謝の入った封筒を、先生に渡すのも今回の目的のひとつだった。お金は失礼かなあとも考えたが、子供が初任給を一人前にしてくれた親に渡すのと同じようなものだから、きっと喜んでくれるのではないかと思った。
支部の組織の中に、研究会というものがある。月に一度会員が集まって試験のようなものをして腕だめしをするのだ。普段のお稽古で学んだいけばなを生けて、採点してもらうのはとてもいい勉強だ。でも、いい点がつけば有頂天になれるが、悪い点がつくと、休みの日に朝早くから来て何がために暗い気持ちにならなくてはならないものかと落ち込むことになる。そんなことを一年続けると、皆勤賞やら成績優秀賞やらのご褒美が出る。年の初めの一月はたいていどこの支部もそういう授賞式をやるところが多い。
雪華ちゃんはいけばなだけの問題だけではなくって、だいたいにおいてできが悪いのだ。おっちょこちょいというか、思慮の無さが目立つ。会得するのに人よりも時間が倍はかかる。失敗のレパートリーが豊富だ。これが、怪我の巧妙で人に教えるときには役立ったりすることもある。そんなミスもあるもんだと感心されることがあるぐらいだから。えらい弟子をもってしまったものだと、親先生にはずいぶん迷惑をかけていることぐらいはわかっている。
そんな雪華ちゃんも、一度ならず賞をもらったことがある。支部の生徒たちは研究会の会場となるホールに並べられた折りたたみイスに、壇上に向かってずらっと並んで座っている。多いときには何百人もいた。それぞれ、仲良しどうしに好き勝手な所に座っている。着いた時間の早い遅いで、前の方だったり後ろの方だったりする。幹部の先生たちは、つまり研究会で採点をする側の先生たちは、生徒たちの一番後ろに授業参観の父兄のごとく並んで立っている。こちらも何十人もいる。賞に入った人の名前が呼ばれ、雪華ちゃんも入っていると誇らしい気もちになる。やってきて良かったなと思う。それから、振り返って親先生を探すのだ。どこだ、どこだと見つけると先生はいつも決まって雪華ちゃんの座ってる場所を知っていて、まっすぐに微笑んでうんうんとうなづいてくれているのだ。いつも見てるよ、あなたの後ろにいるよと、体で表現してくれた。だから雪華ちゃんの喜びは、先生の喜びであると単純に信じることができた。
「えー!いいのう?もらっても。うれしいわあ。こうやってあなたが教えることができるようになってくれたのが何よりうれしいことなのにねえ。こんなのまで頂いて」
封筒をおでこの高さに持ち上げて、一礼して先生はゆっくりと受け取る。それから、台所の方へ向かって、お茶を手にしてもどって来た。
「はーっ、全く先生からの受け売りを、生徒さんに伝えてるだけですから。私は伝書鳩?でも、楽しいです」
「良かったわあ。まあ、お茶でも飲んで。青年部の花展用の花を適当にみつくろっておいたから、今日は試作するからね。前にファックスで送って頂いた構想図は、これ。場所がけっこう広いのよ。中作の自由花。それから、このガラスの花器は作家もので一点ものなのよ。あなたの開業祝いに差し上げるわね。今回の花展用にぴったりだと思うから使ってちょうだい」
それは、最初から机の上に鎮座していた。ガラス器で、ブルーと紫がかったグラデーションが綺麗な色で一目で気に入った。形は細長くて真ん中の胴体部が丸く膨らんでいる。雪華ちゃんはまじまじと見つめて悲鳴をあげる(もらえるんだ)。
「センスがいいのはもちろんですが。これ、高そう……」
さっきの、初お月謝の合計額ではきっと足りないだろうなあと胸算用してみる。いいものを見る目はいいものをたくさん見ること以外には養えない。きっと最初は与えられるものから少しづつ判断していけるようになるのだろう。
「ありがとうございます」
という言葉しか見つからない雪華ちゃんだ。
今度の花展は、支部の中の青年部という集まりの中での発表会だ。大きい花展の順に家元での本部展、各地域ごとに開催する地方展、支部単位の支部展、その中の青年部展など、それから、それぞれの先生とその教室の生徒達で発表する社中展などがある。今回は関東地区で研究会などに利用する、施設がありその一階ロビーを花展会場として使うことになっている。普段は、専門学校としての建物だ。
「こんなような異質素材を使うと、美しくて、留めを兼ねられるから機能的でもあるでしょう?この花器の口は小さいから実物だと、あまり水を気にしないでもランフォルダーなんかをつけておけば、二日の展示期間は問題無いわ」
と、その網状になった針金に紙か布が巻いてあるものを曲げたり伸ばしたりして先生は雪華ちゃんに見せた。
それを筒状にひねって丸めれば、ドレープが出て面白い造形になるなあと思った。花だけではなく、実物やドライ物、植物ではない、いろんなものがいけばなには使われる。こんな素材を見たことがないというものを先生は見つけてくる。たくさん、他の花展を見て目を肥やすことが重要なのだそうだ。それをそっくりそのまま拝借すれば盗作だけれども、そこに本人の好みを加えてまた新たな感動を付け加えることができれば立派な創作だ。真似ることは、学ぶことの基本よと、よく聞かされる。そのときは全身全霊で真似なきゃ、中途半端はよくないそうである。まだ何も判断できない未熟なうちから、あれが好きこれが嫌だと御託を並べることは容易い。素人が陥りやすい誘惑だけれども、真っ白な気持ちで取り入れることが何よりも重要なのだそうである。自分流のアレンジを加えるのは、そのもっともっと後からの話ということだろう。
「これには色をつけられますね……」
雪華ちゃんは、紫系の色を重ねるといいんではないかなあと頭の中で絵の具を塗ってみる。
「そうよ、土曜日まで、二日あるからどんな色が合うかいろいろ実験してみなさい。頭だけで考えるのと、実際にやってみるのとではやはり違うから。それといつも身近に置いてそれを見ていればアイデアも浮かぶでしょうし。ご実家のお母様はお元気?喜んでらっしゃるわね」
「……はい。上げ膳据え膳の極楽待遇。たぶんしばらく」
と答えつつも、雪華ちゃんの頭の中はいけばな作品の全体像を急速に展開中だ。紫色も赤っぽいのや青っぽいものを複雑にからませよう。それをバックにまだ青い実物と可憐な秋の花を競演させるんだ、なんて素敵だろう!と自画自賛している。
「そのうちに親子喧嘩が始まるんでしょ」
「……そんなとこです。秋明菊を使いたいと思ったので、駅前の花屋さんには注文を出してきたんです。花材は決まっているので、どうやってより花の美しさを生かせるか演出を考えてみます」
「ああ、いいわね。白い花を効かせるためには周りは深い色にしたらいいかも」
そうか、深みのある黒っぽい紫も入れなきゃな。頭の中のキャンバスは相当塗りこめられてきた。相変わらずガラス器独特の輝きに雪華ちゃんの目は吸い込まれている。
「生けこみの朝はいいかげんに早く来てよ。私、心配でしょうがないんだから」
はっと、ガラス器から先生の顔を見た。だいたい、ぎりぎりに駆け込む雪華ちゃんは、(あ痛い!)と頭をかく。先生は笑っている。以前花展の折に着物を着て受付をしたことがあった。その日は雨降りで、当日の朝になってから急遽雨ゴートを引っ張り出したり、ぞうりカバーを必死で探したりして、家を出る予定にしていた時間より少し遅れた。遅れはしたが、先生たちとの待ち合わせの時間には間に合っていて花展会場であるデパートの入り口にすべりこんで、エレベーターホールに向かった。会場はいつも8階の催し専門の階だ。するとそこに、先生が青い顔で一階まで降りて雪華ちゃんの到着を首を長くして待っていたのだ。来ない場合はどうしたものかと悩んでいたそうだ。出品作品だったらね、代わりに生けておいてあげることは造作もないことだけれど、着物着た若い人じゃなきゃあ、私が代わりに受付けに立ってると変でしょう!と言ってあの時も先生は笑っていたものだ。先輩たちには、先生達は気がせくんだから、待ち合わせ時間のちょうどに現れてはいけないのよ、それよりも前に着いてないとダメよと、言われていたことを後から思い出した。もっと年配の先生から、あなたのところの弟子はほんとに来るのかしらと、せっつかれていて、親先生はいたたまれなくなっていたそうだった。みんな年のせいだよね、急いだって先は死ぬしかないのになあ、なんてあのときは悪態をついていた雪華ちゃんだったが。
早め早めの準備がなかなかできない雪華ちゃんだ。そういえば、海外旅行の団体待ち合わせがすごく早い時間なのは、万が一パスポートを忘れたお客さんでも取りに帰ることができるぎりぎりの時間に設定されているらしいと聞いたことがある。
「大丈夫、お任せあれ〜」
と雪華ちゃんはふざけつつ、この先生に出会えて本当に良かったと思うのだ。
親先生のそのまた先生もかつていた。先生と弟子のこんな出会いが550年の歳月を紡いできたのだと思うと切なくなる。お稽古の後、お茶を飲み、お菓子をほうばりながら、先生と世間話をすることも楽しみだ。親先生の先生は晩年、認知症がひどくなったそうだ。ある時などは、まだ新しく入った生徒の真になる枝が水盤に立てられたのを見て、
「ちょっと高いわね」
と言ったが早いか、花鋏でパチンとその枝は3分の1ぐらいの高さに短くなってしまったそうだ。尋常ではない短さなので、いくら初心者でもちょっと、おかしいのではないかと気付いたらしい。それには、他の生徒も皆表情が凍ってしまって、親先生は困ったそうだ。親先生とその同期の先生が二人して、高齢になった先生の名目は助手をしながらほんとのところは、お月謝を支払いながら、ちゃんと指導を代わりされていたのだ。その日までは、先生の体の具合を知られないように、カバーしていたのだそうだ。今の時代にそこまで支えることができる者はいるのだろうかと疑わしくなる。師弟の深いつながりは、調子のいいときだけのものでないことも知った。
「華やかな、垢抜けた花を生ける方だったのよ」
と、先生は懐かしそうに語った。
でも、そのあとしきりに「自分もぼけちゃったらどうしようかしら、子供もいないし、早く引退しなきゃね。まわりに迷惑かけられないしね」と雪華ちゃんに話した。60代半ばの年齢にはおよそ見えない、肌のいろつやだし、ピンク色が大好きでおしゃれな先生なので想像もつかないことだった。
「若いですよ。同年代の方を見回しても」
と、問題を先送りするずるい面も雪華ちゃんにはある。ずっと傍にいて、面倒をみることが自分にできないに違いないと思うと、なんて答えればいいのか言葉につまる。迷惑をうんとかければいいんですよ、まわりにいっぱい、と雪華ちゃんは思っていたのだが。誰でも老いるわけで、それが順番にまわってくることなんだからと正論として言いたかったけれど、やっぱり言えなかった。親先生がほんとに年老いる頃には、なんとか一人立ちして、先生を支えることができる人間になるまで、もう少し猶予をください、そしてたった今、感じている自分の身勝手さ、恩知らずの体たらくをどうか忘れることのない人間でいられますようにと雪華ちゃんは胸に刻んだ。
sekkadesu at 15:17│Comments(0)│TrackBack(0)