しんまい華道教授・雪華ちゃんの事件簿 その11ジェイン・オースティン原作のDVD

2010年08月28日

しんまい華道教授・雪華ちゃんの事件簿 その12

はい、こんばんは。     雪華ホーム

  

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いけばな教室を巡る、悲喜こもごもを会話形式のお話にして綴っていこうというカテゴリをつくりました。どれだけ続けられるかわかりませんが。

これは、フィクションであり、登場人物や環境も全て架空のものです。が、当たらずといえでも、遠からじの逸話もありますので、ご自由に想像してくださいませ。

いけばなをとりまく環境はずいぶん時代とともに変わっています。私は今二つのパターンで、誤解や間違ったイメージにとらわれているんではないかと感じています。私たち世代は、お嫁入り前にお茶やお花を習っているのが当たり前な時代のたぶん、最後の世代だと思います。それ以降生まれの方たちにとっては、まったく未知の世界であるという方がけっこう多いですね。いけばなに対する反応を耳にして、こちらも驚くことが多いですし、いけばなをやっていない方たちとの間のギャップをものすごく感じます。周知のものと勝手に解釈していて、説明することを怠っていたりすることもひとつの要因かと思います。それを少しでも身近なものにできたらいいなあと試みました。そしてもうひとつのパターンです。それは、結婚する前にちょっと嗜んでいたわ、という方々にとってです。いけばなの表現方法は、古典芸能の側面もありますので、こちらの基本的な概念は、そうは変わりません。が、自由な発想を元とする芸術的な面は、相当変化しているはずです。不易と流行はともに必要なことですから、時代とともに進化していくいけばなもまたすばらしいものです。ここを、かつてのものと、リセットしていただく必要があるように感じています。

それらの思いをこめて、楽しいお話にできればいいのですが、・・・小説家でもなんでもありませんから、拙いものになりますが、ぜひ読んでみてください。
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<探偵気分>の続き

 東京の上空をプライベートジェットは舞っていた。地図のようによく見える。見慣れたビル群を見下ろす景子だ。800万とも一千万人とも言われる人間がここで毎日、それぞれのドラマを繰り広げているのだ。科学技術はどんどん進化するけれども、それを操る人間の方はどれだけ進化しているのだろうか。案外千年前の人々と変わらない心情を新しい箱のどこにしまおうかと汲々としているのではないだろうか、などと考えてみる。

 景子は、子供の頃から親の期待通りに育ってきた方だろうと思っている。ここ数年は別としてだが。両親は多少の石頭ぶりや偏見が時にはあるとはいえ、まずまず全般的には公平な考え方ができる人たちだと思えるし、同様に兄弟も自分もそうだと考えている。だから、恐ろしく誤った考え方に自分が陥るとはまさか思っていない。この点では自信がある。真実を確かめたい一心なのだ。

 羽田空港からバスに乗って葛西で降りた。荒川を越えた所に位置する千葉のすぐお隣である。幹線道路には大型トラックが多い。近くには、配送会社のセンターなどが多くあるせいだろう。空港で軽い朝食を摂ってきたものの、時間はまだ朝の8時前だ。

 伊藤さんの実家の住所は調べてあり、難なく家の前まで来ることができた。たまに出勤のためだろうと思われる行き交う人とも目を合わせず、こそこそとする景子だが、知った顔に合うわけでもない。なかなか、ばつの悪いものだと思っている。ここまで来て何をしようというのか、自分でもよくわからないままにやってきた。計画性の無い行動は、普段ならあまりしないのだが、ここのところは、全くどうかしていると、自分でもわかってはいるのだ。

 その家は二世帯住宅のようだ。建物はまだ比較的新しく、小さな庭には背の伸びたひまわりが二本、やけに目立っている。

 伊藤さんは、当初智子との関係に悩んでいたという。でも次第に智子の人柄に触れ変化していったらしい。景子にとっては、そのじれったさが、伊藤さんの控えめな大人しさにあると思っていた。でも、智子の死を調べれば調べるほど、伊藤さんへの不信感となっていくのを止められない。そこへ、本人の自供となったわけだから、これはもう決定的に思えた。なぜ、智子を殺害せねばならなかったのだろうかと。いやいや、彼は自責の念にかられて、やってもいないにもかかわらず、自分がやった……ようなものだ、と言いたかったのかもしれない。そう、まだ決まったわけではない。だとすれば、誰かをかばっているのか。まだ他の容疑者も平行して注視しなければならない、と景子は自分に言いきかせた。

 気になっていることはたくさんある。尾形さんが言っていた、伊藤さんのケータイにある赤ん坊の写真だった。あてにならないかもしれないが、みどりさんだって、女の影があると話していた。そうそう、景子も伊藤さんのこざっぱりとした服装から、智子と既に同居しているのかと思ったものだ。ただ、きれい好きなだけなのかもしれないが。

 伊藤さんの智子への態度のじれったさが、妻帯者であるからだとすれば簡単に謎が解けるのだ。智子の存在そのものよりも、結婚を迫られる子供の存在はどうしても避けたかったのではないかと。つまり、胎児殺害が目的で、智子の死は彼にとっては事故だったのではないか。薬は、やくざな弟が別の病院から盗んだものを、智子が気づいて没収でもして部屋に隠していたのではないだろうか。そして、伊藤さんはそのことを知っていたはずだろう。

 それにしても全ては、伊藤さんの犯行へと結びつけて考えられるものばかりだ。景子の勤務先に二人がやってきた時に、自分がもっと人を見る目があれば未然に防げたのではないかと、悔やまれるのだ。

 玄関の引き戸が音を立てて開けられた。景子の血は全身を超高速でかけ巡り、曲がり角まで引っ込んで見張っている家から見えないように隠れた。息をこらしながら、でも目だけは離さないで。心臓が音をたてている。

 六十歳前後の女性と、20代の女性が見える。奥から、2,3歳の女の子が勢いよく出てきた。

「ママー行ってらっしゃーい。早く帰ってきてねー」

「はい、はい、おばあちゃんの言うことをよく聞いて、いい子にしててよ」
そして、向き直って
「お母さん、すみません。どうしても大事なお得意様の予約で、それが終わればすぐに帰ってきますから、ほんとにすみません」

「いいわよ、いいわよ、行ってらっしゃい。もどったら、お父さんと一緒に福島に行くから、大丈夫よ何かの間違いだもの」

「私が行ければいいんだけど」

「唯ちゃんを見てなきゃ」

「ごめんなさい、では、行ってきます」

 咲ちゃんと呼ばれる女の子が、なんと! 伊藤さんにそっくりではないか。女の子は父親似になることが多いから。ということは、あの女性が、伊藤さんの奥さんだ。景子の握りしめた手に力が入る。許せない、なんてことだ。

 彼女は、庭の隅にある自転車に乗り、バックを前のかごに入れしっかりとカバーをしてから走り出した、反射的に、景子は後を追いかけていた。最近運動らしい運動をしていない鈍った自分の体を呪った。朝っぱらから今年の夏はやけに暑い。

懸命に追いかける。汗が額を流れる。

彼女がちゃんと赤信号で止まる優良な運転者だったのが幸いした。はあはあと息を切らしながらも、目標を失わずにすんだのだ。5.6分ほど追いかけただろうか、彼女はやがて目的地に着いたのだろう。自転車から降りて、美容院の脇に止め鍵をかけた。自分が追いかけられているなど、露ほども知らずに。

 入り口のシャッターが中途半端に開けられている。店はまだ開店していないようだ。奥にはもう一人の女性がいる。ガラス張りの店内はよく見える。しかし、お互いにかけあっている声までは聞こえない。看板の営業時間や休日の文字を通りすがりの人が見るように覗き込んだ。

 美容師さんなのだ。そうだ、だから月曜日が休みなのだ。謎の月曜というピースも繋がるではないか。おぞましい事件のジグソーパズルがいくらかできあがるのを感じて、ぶるっと震えた。あの奥さんは真実を知っているのだろうか?最悪の伊藤さんの人物像がだんだん具体化してくるのである。人を馬鹿にしているにも程がある。智子をなんだと思っているのだろうか。怒りと情けなさが再び景子を襲った。


 雪華ちゃんは、仙台に引っ越してから七夕祭りがすぐに大好きになった。花火や七夕飾りの質量ともに圧倒される豪華さなど、見るべきものが多いところはもちろん、お祭り独特の浮かれた気分が好きなのだ。夜店や屋台などが並んでいる光景はなんて心をうきうきと、ときめかせるのだろう。

 そんな一回限りのお店で高かろう? まずかろう? のものでも、けっこう楽しいものだが、七夕祭りの期間中は、駅前の商店街はもちろん、他のかなりの店が一斉に安売りをするところも気に入っている。本来なら祭りの熱気に便乗して、高く売りそうな気がするではないか。でも、洋子さんからも聞かされているが、例えば夏のボーナスが出たからといってご主人のスーツをすぐに作らないで、七夕まで待ってなさいって。その方がお得に買えるらしいのだ。その土地ならではの風習は地元の方に聞くのが一番だ。日本は意外に広いと感じる雪華ちゃんだ。

 転勤族である雪華ちゃんたちが知ったそのことは、古い言葉でいえば<郷に入っては郷に従え>ということなんだろう。いけばなの指導を始めたばかりの雪華ちゃんにとっては、いけばなそのものに関しては、雪華ちゃんは他の生徒さんよりも、時間も熱意も、ついでにお金も長年かけてきたことだから、生徒さんが雪華ちゃんよりも年上であろうと、博識な方であろうと、自分の知っている限りのことを誠意をこめて説明しようと思っている。それは、未熟ではあっても雪華ちゃんのフィールドであるから。もっとも、生徒さんが慣れ親しんでベテランさんになれば、仲間なので同じフィールドになる日もくるだろう。でも、ひとたび、いけばなを離れた会話になった場合は、反対に教わることばかりなのだ。雪華ちゃんが一方的に自分のフィールドに引っ張り込んで伝える一方ではないのだなと感じている。生徒さんがいやがらなければの話だが、相手のフィールドに飛び込むことは必要だと思っている。双方向に対話することで、コミュニケーションが成り立つのだろう。

 教室といえでも、個人と個人のつながりを大切にしたいと思っている。結果として、いろんな情報を得ることができるわけで、これは、教えている側の役得と言っていいと思う。地元のこと、仕事に関すること、健康に関すること、趣味のこと、家族のこと、それぞれの環境を生きている人であるからこそ伺える、面白ネタがいっぱいつまっている。これは、人の縁の不思議さ、楽しさだなあと思い始めている。

 たった一回のお稽古を振り返ってでも、人が複数集まるところには、スリルと興奮があるのだ。<郷に入っては郷に従え>という言葉が、その土地の規則や風習に絶対服従せよ、という強制ではなくって、毎日を楽しく過ごすための知恵にも感じられるのだ。

 仙台弁をひとつ、覚えた。目がごろごろしたり、違和感があるときなどに使うらしいのだが、『いずい』というらしい。この言葉がまさしくぴったりな気がして、さっそく使っている。他にこれほどぴったりの言葉があるのだろうかとさえ、思えてくるのだ。


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