朦朧としてきた・・・しんまい華道教授・雪華ちゃんの事件簿 その10

2010年08月14日

しんまい華道教授・雪華ちゃんの事件簿 その9

はい、こんばんは。     雪華ホーム

  

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いけばな教室を巡る、悲喜こもごもを会話形式のお話にして綴っていこうというカテゴリをつくりました。どれだけ続けられるかわかりませんが。

これは、フィクションであり、登場人物や環境も全て架空のものです。が、当たらずといえでも、遠からじの逸話もありますので、ご自由に想像してくださいませ。

いけばなをとりまく環境はずいぶん時代とともに変わっています。私は今二つのパターンで、誤解や間違ったイメージにとらわれているんではないかと感じています。私たち世代は、お嫁入り前にお茶やお花を習っているのが当たり前な時代のたぶん、最後の世代だと思います。それ以降生まれの方たちにとっては、まったく未知の世界であるという方がけっこう多いですね。いけばなに対する反応を耳にして、こちらも驚くことが多いですし、いけばなをやっていない方たちとの間のギャップをものすごく感じます。周知のものと勝手に解釈していて、説明することを怠っていたりすることもひとつの要因かと思います。それを少しでも身近なものにできたらいいなあと試みました。そしてもうひとつのパターンです。それは、結婚する前にちょっと嗜んでいたわ、という方々にとってです。いけばなの表現方法は、古典芸能の側面もありますので、こちらの基本的な概念は、そうは変わりません。が、自由な発想を元とする芸術的な面は、相当変化しているはずです。不易と流行はともに必要なことですから、時代とともに進化していくいけばなもまたすばらしいものです。ここを、かつてのものと、リセットしていただく必要があるように感じています。

それらの思いをこめて、楽しいお話にできればいいのですが、・・・小説家でもなんでもありませんから、拙いものになりますが、ぜひ読んでみてください。
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<初稽古>

 雪華ちゃんは夫である、たけちゃんを
「行ってらっしゃーい。気をつけてーーー」
と見送ると、たった一人になる。病後ということもあるし、しばしば通院の必要もある。一週間以上の長さになることが多いが、実家に帰り、東京の親先生のところへのお稽古や、研究会などの研修があったり、京都への研修もあるので、普通の働き口はない。仙台での生活は暇なような、普通の人よりも留守がちにすることが多いので、忙しいような、どちらともいえないくらしだ。

 たいていの買い物は、長町一丁目の商店街にちょこちょこっと出かける。昔ながらの豆腐屋さんが懐かしい。お店の奥さんも気さくに声をかけてくれる。お味噌汁の具にする油揚げや冷奴用の絹ごし豆腐を調達する。肉屋さんのできたてコロッケもサクサクでおいしい。古い竹細工屋さんがある。ウィンドウから、あの花入れをいつか買いたいなあと眺めるのも楽しい。手作りの繊細な網目模様の籠がもちろん一品物だろうし、お値段もそれなりに高価だからだ。

 でも、たいていはスーパーマーケットでの買い物がほとんどであり、商店街が昔のようには栄えていない。たぶんどの町でも似たりよったりだろう。スーパーマーケットでの買い物だけだと、雪華ちゃんは一言も会話を交わすことなく、一日が終わることもあるのだ。確かに便利になって、人間関係のわずらわしさもなくなったかもしれないが、孤立することはいとも容易い。待っていては、ダメなのだと学んだ。

 雪華ちゃんの家から、その商店街の終わり近くに手芸屋さんがある。そこで、週に二回編み物教室を開いていて、ときどき(あまり、熱心な生徒ではない)通うようになった。先生は80歳近い方だし、生徒さん達も雪華ちゃんよりずっとずっと年配の方ばかりだ。たぶん若くて時間のある人は働きに行ってる時間帯だろうから。そこで、唯一、少しお姉さんである友人が丸山さんだ。

 前夜の残りご飯で、簡単にお昼を済ました頃、電話が鳴った。

「前、話してたあれ、おすし屋さんに花を生けさせてもらう件ね、ごめん。やんわり断られた」
景気が悪くて、少しでも経費を切り詰めていいる時だ。花は食べられない、贅沢品なのだ。

「でもね、喜んで。そこで知り合った、インド人の留学生がね、日本文化に触れたいんですって」

「インド語!何語かもわからん、例え英語でも無理」

「インドでも日本語を勉強してたし、こっちにも3年ぐらいでね。日本人より美しい日本語」

「そりゃ、いいわ。サイコー、日本語教えてもらお」

「カレー屋さんじゃないわよ。インテリ」

「それ、偏見。私だってね、そこまで」
と口をとがらせる雪華ちゃんだが、これはうれしいニュースだ。次の稽古日には景子さんも来られるだろうから、一緒の方がいいわと思った。

「男の人だけど、いいでしょう?」

「OK!OK!もともと過去の偉い華道家は男性ばっかりですから」

「そうなの?女の園かと思った」

「室町時代から僧侶、武士、貴族の嗜みだったわけで。江戸時代の末頃かな、女性がいけばなを生けるようになったのは」

「私も、生けに来てもらうのやめて、やっぱり習おうかな」

「ついに、私を尊敬し始めましたね」

「サミール君がいい男なの」

「そっちですか?」

 電話の後、にわかにインドの勉強をインターネットで始めた雪華ちゃんだ。だが、唐突すぎて、全く頭に入らない。でたとこ勝負なの、私の人生って、と開き直るのだ。景子さんの殺人事件に続き、日印の国際問題も勃発する予定である。

 いけばな教室を運営するためのマニュアルというものはたぶん無いと思う。こういうことはしてはいけませんと、規制をうけることも、たぶん無いのはうれしいことだとしても。もともと師匠から弟子へと語り継がれて現代に至っているわけで、今のその大部分は無名の一般庶民が繋いでいる伝統なのだ。免許制であり、レベルが著しくばらつくということは無いにしろ、それぞれの先生の指導の仕方には自由度が大きい。雪華ちゃんのような新米の場合は、親先生の見よう見真似で始めるよりしょうがない。また、親先生も、全面的にバックアップしてくれている。雪華ちゃんの場合は、親先生が遠いので、自分が生けると、こんなん生けましたというように、それをデッサンにしてFAXで送信する。そして、電話でアドバイスを受けるということをやってもらっている。ただ、絵は奥行きがうまく説明できないので、不十分であることは承知の上だが。あやふやな点や注意点等を再確認できる。

 入門者に、いけばなの本やコミックを貸してあげようと、いくつかピックアップした。体験用の花材には、こんな暑い時期だから、なるべく日持ちがして長く楽しめるように考えて、注文しよう。指導するにあたっては、日本人だろうが、インド人だろうが、男だろうが、女だろうが、そんなことはあまり関係ないと思っている。相手が何を期待するかにはよるだろうが。どうやったら、いけばなに親しんでもらえるか、入り込みやすくなるか、を考えた。なぜなら、道はとても長いから。奥深さを知るには時間がかかるだろうから。

 日本人といっても、若い世代は、かつての日本人と全く違っているはずである。もうすでに、外国人に近くなっているのではないかと、雪華ちゃん自身でさえ、そう思うことが多いのだ。日本の四季や文化が身近なものでなくなっている時代だ。そこには、現代にも生かすことができる知恵がいっぱい詰まっているに違いないのに、残念なことだ。

 初回のお稽古である水曜日がやってきた。朝から掃除をいつも以上に励んだり、お茶菓子を買いに行ったり、そわそわしている。商店街にあるいつもの花屋さんに、昨日これと、あれとと決定した花を指定してあるので、人数分の花材を午前中に配達してくれている。サミール君と、丸山さんと、景子さんの今後のお稽古時間はそれぞれの生活時間帯の都合のいいときに来られるはずだが、今日はたまたま、全員揃いそうだ。少なくて、マンツーマンで教わった方が気兼ねなく先生にたくさん質問できるが、多い場合は、他の生徒さんの作品を見ることができて、それは本当に勉強になるし、楽しいし、友達もできる可能性が高い。どちらが、いいかは一長一短である。

「先生、初めまして。佐藤です。よろしくお願いします」
と、連絡のあった時間にぴったりと現れたのは、景子さんだ。

「こちらこそ、よろしくお願いします。なんだか、お電話で何度かお話しているので、初めての気がしませんが」
と、玄関の中に招き入れながら、

「ほんとに、大丈夫?落ち着いた?」

「はい、だいぶ復活しました。有難うございます。仕事もいつも通りに戻りましたから」

「そう……無理しないでね。お花で気分転換になるといいんだけどね」
「ここを、教室にしています。狭いですが。私も始めたばかりの未熟者だけれども、がんばりますので、なんでも遠慮なく質問してね。私の説明が足りないかもしれないから」
と、挨拶をした。景子さんは、ベージュ色のパンツスーツ姿で、颯爽とした立ち振る舞いだ。背が高くて、姿勢がいい。人をまっすぐにみつめる目も素直な性格のせいだろうと思われる。

「あとで、もうお二人来られる予定になってるんだけど、始めますね」
ピンクのクルクマジンジャーと瑠璃玉アザミと観葉植物のカラジュームを包んでいる紙を広げる。

「この葉っぱは知ってます!」

「良かったわ、中心が赤くてきれいよね。鉢から切ってもわりあい、長く元気なので」

「木とか枝とかを生けるイメージが強いです」

「そうですそうです。ただ、夏はねこうゆう草物が多いの。涼しげにしたいじゃない?自然も重んじるけど、人も大事。季節によっても変わるし、たとえ一つの季節でも全部の植物に出会えるわけはないでしょう?だから、一回きりではいけばなの魅力は伝えきれないんです」

「覚えるのもたいへんそう」

「ゆっくり・あせらず、だけど確実に、大雑把な私の性格では、人に勧められませんがね。はは。ノートだけは次回から用意してください。料理のレシピみたいに残しておきましょう、きっと役にたちます」

 花材の説明をする。図鑑でさっき仕入れたばかりの情報もある。もちろん、10年前から知っているような顔をして。まあ、雪華ちゃんの場合顔にすぐ表れるのでばれているかもしれない。瑠璃玉の葉はちりちりとした葉が茎全体に等分間隔についているのだけれども、この葉はほとんどの場合、取り除く。その方が青い玉の美しさをよりひきたてるから。枝ものでも、同様に花屋さんから届けられるそのまんまの素材をそのまんま生けないものも多い。玉の部分を上にあげて、上から下へ親指と人差し指を挟んで下に下ろすと、スルスルと葉が取れる。逆にすると手を傷つけるので注意が必要だ。景子さんの目の前で一回は、雪華ちゃんがやってみる。それから、別の一本を渡してやってもらう。景子さんの瞳がキラキラしている。新しいことを吸収する瞬間は、内面だけじゃなくって、外面にもあふれ出ることを見ることができて、とてもうれしく感じる。

「この花かわいいですー。蓮に似てますね」
とクルクマを愛おしそうに眺める。

「お盆の時期でもあるしね。蓮の花はなかなか手に入らないので代花にしたりするわね、最近。これも、一週間ぐらいは十分に持ちますから」


「剣山に挿すのって、初めて」
と、剣山と茎とを見つめる目は真剣そのものだ。どこに挿そうか、どれくらいの角度にさそうか、一生懸命考えてる様子。雪華ちゃんは、景子さんの後ろに立って、なるべく口を出さないようにしている。自由花という型にとらわれないで、生ける花型だから。例として、同じ花材のもので先に雪華ちゃんが生けたものも、すぐ見えるところに置いてある。同じにする必要はないし、参考にしてもいいよ、と言ってあるから。とくに今日は初回の体験でもある。次回からはカリキュラムにのっとって、進めていこうと思っている。

 どういう風に生けようかなっと、頭の中で試行錯誤している瞬間が、一番の沈黙の時間だと思う。「たかが花」が「されど花」になる瞬間だから尊い。この花のこと以外なんにも考えてないし、日常のことなどすっかり忘れているのだ。

「なんか、あるだけ全部埋めました。ジャングルかな?」
と、ひととおり、生け終えたのを見計らって、雪華ちゃんが手直しをする。

「ここは、無い方がいいんじゃないかなあ。ジャングルっていうのは面白いけど。茎と茎の間はゆったりとして風が抜けるぐらいが気持ちいいかもよ」
と、あんまりたくさん注文しないで、のびのびと生けてもらうことに専念したつもりだ。

「スゴイ!ちょっと手を入れてもらっただけで、変わった!」
と、いい子ほど反対に喜ばしてくれることが多いので、話半分に聞きつつも、少しは感動してもらえたかも、と満足した。

「やっぱり、自己流とは違います!」
景子さんの目がまん丸になっている。その目を忘れないでね、と雪華ちゃんは思った。

sekkadesu at 22:29│Comments(0)TrackBack(0)

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