ゲノム解読から6年・・・河の土手に、いっぱい、これが。

2006年06月15日

ユーモアとペーソスから迫る芭蕉像NO.35

 乾裕幸は、「五月雨に鳰の浮巣を見にゆかん」という句の説明に、芭蕉自身が語ったところの、酔狂、風狂心に俳諧性があるとしている点と同様な意味合いで、次のように説明している。「和歌言語としての(白河の関)の理解は必ずしも現実における白河の関を知らなくても、(白河の関)の歌を詠むことはたやすいことだったわけで、禁足の回国記が可能だったのもじつはそのためにほかならなかった。にもかかわらず、芭蕉はわざわざ奥州くんだりまで出向いて行って、歌枕の踏破をやってのけたのである。」と、そしてこれは、風狂の精神であると述べている。・・・

風狂の精神=俳諧=滑稽ということにつながるのではないだろうか。長くなったが、句の鑑賞にもどろう。

   蚤虱馬の尿する枕もと
 (元禄二年、四十六歳。この辺鄙な山家では、一晩中蚤や虱に責められ、おまけに寝ている枕元に馬の小便の音まで聞こえるという、散々な目にあったことだ。)
 ほそ道行脚中の尿前(しとまえ)の関という地名を掛けて、馬を人並みに扱ってユーモア化されている。大変な状況であるけれど、それを客観的にみて笑っている。こんなひどい目にあいながらも、旅を続けるのだとう風狂心を強調しているものと考える。
 現実には、苦難の旅ばかりとは考え難い。このような苦労も多少はあったことだろうが、当時芭蕉はもはや有名人であり、各地で盛大な句会や歓迎を受けている。人気歌手の東北地区縦断コンサートさながらであると想像している。各地の名士や門人達は喜んで芭蕉に食事や道中に必要だと思われる品物や宿の提供をしている。この時日本人の習慣として(句会のお礼とか授業料のような名目で)、その他の金品を包む者が全くいなかったとは考え難い。

   閑かさや岩にしみ入る蝉の声
 (元禄二年、四十六歳。全山静寂の中で、苔むした岩に染み透るような細く澄んだ蝉の声が、いっそう静寂感を深める)
 静寂境の中に蝉を置くことで幽邃閑寂の極を描ききった絶唱といわれる。「古池や」の句の効果と似ていると思われる。芭蕉のこの句の成案の過程を見てみよう。
 「寂しさや岩にしみ込む蝉の声」(誤伝の説もある)
 「山寺や石にしみつく蝉の声」
 蝉のあの声をいかに表現したものかと校正している様子がある。常識的に、蝉の鳴き声はたった一匹であったとしても、うるさいものである。このうるさい蝉の声がさきにあったのがわかる。静寂と結びつけることが効果的であることは、後で気付いたものと思われる。得意の相反するものの取り合わせの妙といえる。
 

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