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2006年06月05日

ユーモアとペーソスから迫る芭蕉像NO.34

b3645d49.jpg この句は『おくのほそ道』中の出立の際の留別の句としているが、実際の吟は、「鮎の子の白魚送る別れ哉」を後で改作したものである。土芳によると、芭蕉自身が、前作の句では品位が釣り合わないと語ったと記している。同じような、『おくのほそ道』中の虚構性の問題について少し、ふれたい。・・・


事実ではないのだけれども、事実以上に創作するという名作句がたくさんできている。「荒海や佐渡によこたふ天河」この句にあるような、現実の位置関係には、天の川は配置されないことが知られている。1943年に『曽良随行日記』の発見により、「あらたうと青葉若葉の日の光」の句を詠んだとされる日はあいにくの雨天であったし、遊女が登場するという虚構、「五月雨を集めて早し最上川」はもとは、涼しいという挨拶句であったが、『歌林名所考』などに(早川なり)と記された最上川の歌枕本意がにわかに浮上し先の句に変身した。「五月雨の降りのこしてや光堂」も実際には見ることはできなかった。等々枚挙にいとまがない。品位のある句を厳選した構成力もすばらしいものであるし、こうしたことからも明らかなように、一句の背景に浮かぶ芭蕉の脳裏にある一枚の絵は、絶対に自然の単なる写生では、ありえない。
 芭蕉の美学は、軽々と現実を超えることができたのである。しかも、現実よりはるかにすばらしく。虚が実をくつがえしつつ、虚にもまた、実があることを証明してみせることができたともいえよう。これは、俳諧史上繰り返された滑稽観の到達点と言えるかもしれない。『おくのほそ道』は古典の形式である紀行文の形式をパロディーしつつ、私小説のようなものを作ったのかもしれない。尾形仂は、市振挿話のフィクションが、「芭蕉はいわば西行と江口の遊女との出会いのパロディーの形で、紀行の運びに恋のいろどりをそえるとともに、どうすることもできない人生の寂しさ悲しさを伝えて、旅のあわれの一つとしたのである」ととらえている。また、井本農一は、『おくのほそ道』を一種の私小説であり、心境小説であるとしている。
 おくのほそ道というタイトル自体、京、江戸を結ぶ中央の大街道ではなく、おくのほそ道である必要性があったのではないかと考えている。元禄三年、幻住庵に滞在中、京都に出かけたおりに、「京にても京なつかしやほととぎす」の句をつくっている。富山奏の解説によると、上五の「京」は現実の京で、中七の「京」は心象の京であるという。王朝の昔、ほととぎすの一声を聞きたくて、徹夜も辞さなかったという歌人たちが優美な和歌の伝統を継承していた風雅の象徴とも言える。つまり、そのような心象に対して、「なつかし」と感じるということは「彼が常に京都を和歌的伝統の風雅の地と考え、平生から強い憧憬の念を持っていたことを、証する」ものであるという。中世の美学をえいえいとはぐくんできた場所は京以外にはありえないところを、あえて、みちのくの田舎にも誠の風雅はあるのではないか、と提議したのではないだろうか。相反するものの言葉の両義化、これこそ、芭蕉の俳諧を俳諧たらしめる重要な要素であると思われる。

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